公共図書館で働く視覚障害職員の会 「なごや会」 会報 第30号 (記念特集号) 特集1  広がれ!障害者用資料への夢 特集2  こんにちは、なごや会です! 編集発行  なごや会会報編集委員会 目次 1 はじめに  会報編集委員会 中山玲子 2 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」  2-1 点字は光、読書は宝  込山光廣  2-2 メンタルマップが描ける地図を!  川上正信  2-3 私のあぶない夢――耳の読書をもっと楽しみたい  福井哲也  2-4 「びぶりおネット」と、「びぶりお工房」     −録音図書の製作と提供の新しい形の実現−  天野繁隆  2-5 デジタル録音図書再生機の過去、現在、未来  西澤達夫  2-6 なごや会への期待  河村宏  2-7 大活字資料への思い   大川和彦  2-8 「大活字本を普及させることで、暮らしやすい社会をつくる」  市橋正光  2-9 書籍編集者としてできること  成松一郎  2-10 布の絵本の可能性  渡辺順子 3 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜  3-1 知恵と行動力でつむいだ20年  川上正信  3-2 出版と研究活動  服部敦司  3-3 会報の発行について  中山玲子  3-4 なごや会例会の紹介  佐藤聖一  3-5 支部会の活動  大川和彦  3-6 メーリングリストの御紹介  伊藤慶昭 4 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜  4-1 なごや会会員としての声  田中章治  4-2 なごや会会員としての声  松元梢  4-3 なごや会とともに二十年  大塚強  4-4 なごや会と私  宮崎佳代子  4-5 点字図書館員として  伊藤慶昭  4-6 もっと利用者としての発信を ―音声図書の質の向上のために― 恵美三紀子 5 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員にはこんな横顔も!〜  5-1 バリアフリー出版が実現するまで  松井進  5-2 OFFの日には夢の中?  斉藤恵子  5-3 仕事を離れた私の横顔(マラソンについて)  田中浩巳  5-4 全国ラーメン食べ歩き  駒込一幸 6 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜なごや会20年のあゆみ〜    中山玲子 7 図書館の目指すもの 障害者サービスのこれから  佐藤聖一 8 おわりに  中山玲子     はじめに                           会報編集委員会 中山玲子  この「なごや会会報第30号」を手に取ってくださった皆さん、こんにちは!!  私たちは、公共図書館で働く視覚障害者、および、公共図書館の障害者サービスに関心のあるメンバーで組織している「なごや会」です。今回は、なごや会20周年、および、会報30号を記念して、この会報を会員以外の皆さんにもお読みいただけたらと、公に発行しました。  「図書館を取り巻く状況はきびしい」などと、決まり文句のように聞こえてくる昨今ですが、心配は無用です。共に同じ目的に向かって進みたいと願う仲間が、ほら!あなたのそばにもいるのですから。  この会報を通して、これからの公共図書館における障害者サービスのヴィジョンを膨らませていただくと共に、私たちなごや会のことを一人でも多くの方に知っていただけたら幸いです。  さあ!皆で手を取り合って、「すべての人にすべての図書館資料を」そんな夢を実現し続けようではありませんか!! 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     点字は光、読書は宝                         日本点字技能師協会 込山光廣 1.初めに  わたしにとって読書は、単なる趣味ではない。それは、生活必需品である。時間があれば、バスの中でも、電車の中でも、読める環境でさえあれば、必ず読んでいたものだ。さすがに今は、それほどの元気はない。  子どものころから本が好きだった。本や雑誌を好きなだけ、自由に読める友達が羨ましくて仕方がなかった。盲学校に入って点字を習い、普通とは形は違っていても、自分自身の文字を獲得できたことは、画期的なことだった。学校にある子ども向きの本をすべて読みつくしてしまい、仕方がないので、自分で物語をつくって点字の本にしたこともあるほどだ。わけもわからないまま、大人が読む本まで読みあさった。 2.点字表記を大切に  子どもながら、わたしは点字に救われた。指先で感じた点字は、あたかも太陽のエネルギーが木の葉から吸収されるように、身体に溶け込んで脳内でイメージを結ぶ。わたしにとって点字は、六つの点をただ組み合わせただけの記号ではなく、ある物・形・言葉・意味に直接結びついている。それゆえ、点字の表記にもこだわりがある。わたしは現在、視覚障害者の情報・生活環境の改善や正しい点字を普及する活動をNPOで行っている。そこで感じているのだが、日本語の点字表記は、点訳しやすく、中途失明者が読みやすいようにと配慮して、升空けをし過ぎているような気がする。名詞の「大学 院生」「図書 館長」「幼稚 園長」などと書かれると、物や人物の姿が寸断されてしまう。外来語の「ケース ワーク」「ライト ハウス」「ワーク ショップ」「インター ネット」なども、非常に理解しにくい。何時の日にか、文や単語の意味が損なわれずに理解できる分かち書き(切れ続き)表記に改定されることを強く望んでいる。 3.点字の次世代への継承  文字と言葉がなかったならば、文化は育たない。記録すべき文字がなければ、その文化はいつかは忘れ去られてしまう。耳から入る情報は一瞬で消えさり、一寸油断していると聞き逃してしまう。一方、文字(点字)による情報は消えさることがなく、何度でも確認できる。様々な知識を入手でき、さらに、自ら表現できる手段としての、視覚障害者の文字=点字を考案したルイ・ブライユ氏と、それを翻案した石川倉次氏に改めて感謝したい。彼らの偉大なる業績は、わたしたちにこの上ない福音をもたらした。 4.触読者を増やすために  平成18年の実態調査によると、視覚障害者の中で点字を読み書きできる者は12.8パーセント、およそ4万人弱と推定されている。そしていま、点字離れが心配されているが、一度点字を読める喜びを味わい、少しでも読めるようになりさえすれば、しめたものである。なかなか読めるようにならない辛い日々を克服して、如何に点字を読めるかが課題だ。これを解決するために、次の3点を上げたい。実現できれば、点字の触読者は飛躍的に増えることだろう。  (1)「辛いを」を「楽しい」に変える… 楽しみながら学べる教材(例えば、カラオケの歌詞、クイズなど)を使う。点字を速く読める人は、みんな推測読みをしている。触読できるようになるかどうかのポイントは、いかに適切に推測するかにかかっている。自分にとって興味・関心があるものならば、あれこれと考えるのもまた楽しいことだ。小さなステップをいくつもクリアすることによって達成感が感じられる指導法を工夫することが大切だ。  (2)触わって心地良い点字・触りたくなる点字を開発する… プリンターに高度な機能をもたせて点字の形・大きさ・高さをさわり心地の良い物とする。また、点字用紙を触わっていたいと思うような材質とする。滑りが悪く軋むような感じがして、触っていると不快になる点字があるのだから、その逆もできるはずだ。「点字中毒」になればそれこそ申し分ない。  (3)触覚と聴覚で集中力を磨く… 点字を読むことで触覚を基点に全皮膚感覚を開発する。視覚を失った分、それだけ聴覚も鋭敏になる。この二つの感覚を連合させて生活空間の認知力を高める。触察で点図が理解できれば、視覚障害者の世界は限りなく広がることに繋がる。 5.二つの仮名の書き分け  普通、文章は漢字仮名混じり文で書かれる。点字は仮名書きの、表音表記である。最近、日本語にカタカナ語がずいぶん多くなってきた。また、色々な意味をもたせてカタカナ表記が用いられている。6点漢字や漢点字はあるが、点字で漢字の恩恵に浴するのはなかなかに難しい。しかし、点字仮名で平がな・カタカナを書き分けることは、きっと必要になってくるだろう。そして、それは不可能ではない。工夫しだいではないか。点字プリンターの機能を利用して、点種や線種を変えることは、現実的な一つの方法である。ぜひとも研究していただきたい。 6.こんなふうにして読書ができたら  わたしには密かに抱いている夢がある。実現性もかなり高いはずだ。それは、簡便な音声・点字ディスプレイ読書機(本)である。携帯できる小さな機械で、イメージとしては「デイジー再生機プラス点字ディスプレイ」と言うことになる。音声を聴きながら、点字も読める。大きさは点字の本くらいで、1面が1ページに相当し、点図もディスプレイできる。切り替えることによって、点字の本にもなり、デイジー再生機にもなる。必要に応じて、音声で聞き流したり、点字で確認する。触覚と聴覚をフルに生かして読書をしたい。それが、わたしの願いである。 7.終わりに  ないーぶネットやびぶりおネットが構築されて、視覚障害者の読書環境は大きく改善された。しかし、晴眼者と同様に一般の書店で売られている本や雑誌を選択して、読みたい物を自由に読めると言うわけではない。せめてどの図書館でも、その所蔵する図書を利用者が望む媒体(点字、デイジー、拡大文字、活字読み取りコード添付など)で利用できるように考えてほしいものだ。図書館サービスの基本は、すべての人に開かれていることである。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     メンタルマップが描ける地図を!                         横浜市中央図書館 川上正信  今年は点字の考案者ルイ・ブライユ生誕200年。盲学校へ入りいち早く点字を学び触れ、以後、学生時代を中心に点字によって情報の入手や整理、コミュニケーションの手段として点字を使用してきた私としては改めて点字の意義に思いをはせる必要があるのだろう。音訳図書を利用する機会が圧倒的に増えたこんにちであっても、音声媒体と文字媒体とでは利用価値は大きく違ってくる。頭で思考を巡らせるだけの一瞬の時がほしい時、何度となく繰り返して触読して熟読しないと実際に役立たない情報は点字に負うところが大きい。特に地図のように、二次元的空間を理解するには点図がいつでも利用できる環境があればうれしい。文字や絵が表現できるせっかくの点字が存在しながら、この分野への点訳者の感心はとぼしい。それともニーズがないのか、点訳技術上の課題があって立ち遅れているのか…未開拓な分野だと言えるのではないだろうか。観光や出張、小説を読んでいて、その土地のことが知りたくなったら、視覚障害者情報提供施設(点字図書館)や地元の観光窓口や社会福祉協議会などに問い合わせれば地元の地図がいつでも送ってもらえるといい。  健常者ならごく当たり前に利用している観光用のマップだ。今ではインターネットでも、その多くを見ることができるようになった。ただ、私にとっていつもほしいと思うのは建物・道路・鉄道駅に至るまで詳細に描かれたものではない。それは墨字だから描ける表現法であって、目で見る地図である。墨字のような細かな表現は技術的にも無理だし、触読で全体像を把握するには大変な触読能力と時間が求められて、そうした物は多くの人の利用に不向きだ。視覚で見る地図をそのまま点字にする必要性をあまり私は感じない。頭で土地の全体像が描ければそれで十分目的は果たされる。触読のためのオリジナルな地図をつくることになるだろう。墨字の地図を手がかりにして、市町村別に利用の目的別に分けて何枚かの独自の「オリジナル」な地図がほしい。  県別の地図帳は出版されている。京都など、ごく一部の観光地や東京ディズニーランドなどの会場内の地図はある。私がイメージしている地図はこんなものである。市町村単位の地図が見てみたいと思うことがよくある。主に観光地になるが、その土地は歩いて体で感じたいと思うからできるだけ乗り物に乗らずに散策に時間をかける。いったい自分がその土地のどこを、どの方向に向かって歩いているのかを知る手がかりになる、メンタルマップの描ける地図。大きな都市であれば、各区の位置と鉄道路線を重ねることで、区の位置と市内を走る鉄道の様子がつかめる。もう1枚は区の位置と幹線道路の掲載されたもの。(鉄道と道路の両方を1枚に落とし込むとそれだけで触読には複雑になることもある)更に区ごとの地図があればうれしい。そして、付録として鉄道駅名やバス停の名前を路線別に一覧できるものがほしい。大きな都市でなければもっと分かりやすい地図になるだろう。未知の土地を訪れる時の歩くための事前の情報がほしい。山や川の自然についてはあえて入っていなくてもいい。どこまで盛り込むかは紙のサイズや縮尺で変わってくるが、複雑になるのはどうしても避けたい。土地のすべての情報がほしいのではない。分厚くなった点字の地図を手にもって散策するようなことも普通はしない。訪れる未知の土地を、事前に頭に描いてから出かけたいと思う。各地の地図を楽しみたいものである。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     私のあぶない夢――耳の読書をもっと楽しみたい                         日本ライトハウス 福井哲也  本や雑誌の音訳では、写真説明というのがよく行われる。音訳においては、文字を読むだけでなく写真なども言葉で説明しなければならないという考え方が、今では広く普及しているようだ。それは結構なのだが、肝心の説明が通り一遍で面白みに欠けると感じることが実は少なくないのである。  例えば、「背広にネクタイ姿で正面を向いた著者の上半身の写真があります」といった類の説明だ。「背広にネクタイ」は男性としてはごく普通の服装で、それだけではほとんど何の情報も汲み取れない(日本で和服が一般的だった時代なら洋服自体珍しいということになるかもしれないが)。見える人なら、顔の表情からその人の人柄や性格を想像したり、髪の毛や肌の様子からどれぐらいの年齢に見えるとか、服装のセンスはどうとか、いろいろな見方をすると思う。ところが音訳では、そこに著者の写真があるという以上のことは何も伝えられない。私は、このような「写真説明」は入れる意味があるのだろうかと疑問に思ってしまう。  なごや会メンバーのある図書館員の方から、以前こんなことを教わった。音訳において、写真の説明は客観的でなければならない。例えば少女の写真が載っていたとして、その髪型や服装を説明するのはよいが、「かわいい女の子」というような表現はしてはいけないと。なるほど、「かわいい」かどうかは見る人の主観に大いに左右される事柄であって、書かれている内容をそのまま伝えるという音訳の精神とは相容れないことは容易に理解できる。だが、私はどうもあきらめきれないのだ。  先日、「週刊文春」2009年5月7日・14日号のグラビアのページに、「アイドルという生き方」と題する記事を見つけた。アグネス・チャン、麻丘(あさおか)めぐみ、岡崎友紀(おかざきゆき)など、70〜80年代のアイドルたちの当時の写真と現在の写真が、短いインタビューとともに載っていた。私はこれをびぶりおネットで聞いたのだが、写真については(当然かと思うが)キャプションを読んでいるだけだった。アグネス・チャンなら、「当時の写真:白いハイソックスとミニスカート姿にあこがれた娘も多かった。現在の写真:86年に結婚。現在は3人の息子の母でもある。」といった具合。  キャプションが読まれていれば、音訳資料としては問題ないのだろうが、これではやはりさびしい。彼女らが30年前と今とで「見た目」がどんなふうに変わったのか(あるいは変わらないか)、このグラビアページを開く大半の読者は、そういう関心で写真を眺めるのではないか。私たち耳の読者も、想いは同じなのである。  でも、写真の見方や写真から感じ取るものは人により違うので、そんな「説明」はとても無理ではないか――という声が聞こえてきそうだ。確かに、だれにでもできることではないだろう。いわゆる音訳の技術ではカバーしきれない部分がたくさんある。豊かな感性と言葉による表現力、そして被写体に関する知識も必要だ。特殊技能が求められる一分野と考えるべきであろう。  こういう写真の「説明」は、読み手により内容がずいぶん違ってくるだろう。それでよいのである。読み手の個性を前面に押し出した、その人ならではの「説明」の方が、ずっと面白いはずだ。それはもはや音訳とはいえないとの批判は当然あるだろう。だが私は、晴眼者が写真を見て楽しんだり、発見したり、あるいは心動かされたことの一部分でも、声を通じて感じ取ることができたらと思うのである。人物の写真だけでなく、風景にしろ建築物にしろ、見る人の心に訴えかけてくる何かがあるはずだ。  読み手の個性溢れる「写真説明」は、聞き手によっては好ましく思わない人もいるだろう。「○○さんの説明は好きだけれど、××さんのは苦手だ」という人もいるに違いない。そこで、こういう「写真説明」は記事本文の音訳とは分けて、サブチャンネルに入れたらどうだろう。つまり、写真の説明については、メインチャンネルの普通の説明とサブチャンネルの個性溢れる説明の二つを用意しておき、聞き手がプレイヤーのスイッチによりどちらかを選択して聞けるようにするのである。DVD映画のコメンタリーと少し似た発想である。  録音資料にメインチャンネルとサブチャンネルを作ろうというアイディアは、私のまったくの思い付きにすぎない。技術的には、新しいDAISYですでに規格化されている脚注の機能を少し変形することで実現はそう難しくないように思われる。私はあまり詳しいことを知らないが、DAISYの脚注は、再生するかスキップするかをプレイヤーであらかじめ設定したり、あるいは注ごとに再生する・しないを選択することもできるようである。  DAISYの脚注と私が考えるサブチャンネルとの違いは、脚注が一本道の録音資料の一部で、スキップするかしないかを選択するのに対し、サブチャンネルはある地点間を本道とは別ルートで結ぶバイパス道のようなものである。記事本文の音訳は本道一本だが、写真説明の所は、主観を殺した真っ当な説明と個性溢れる説明の二手に道が分かれるということである。どちらの道を通るかは聞き手次第というわけだ。  技術的なことはともかく、私がここで強調したいのは、客観中立の音訳では楽しめない墨字資料もあるということ。ときには音訳の本道から脇道へ入り、読み手の主観を交えた自由奔放な「写真説明」などというのも是非聞いてみたいのである。そんな、ちょっとあぶない試みに挑戦しようという音訳者はおられませんか! 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     「びぶりおネット」と、「びぶりお工房」     −録音図書の製作と提供の新しい形の実現−                          日本点字図書館 天野繁隆  今、私の手元に昭和63年に編まれた「日本点字図書館テープライブラリー30年の歩み」があります。改めて頁を繰って見ますと、寄稿くださった当時の官吏、有識者の皆さんが録音図書の将来を展望しています。しかし、残念ながら20年を経た今日の状況を予見された文章をみいだすことは出来ません。  ではこの20年の変化はどうでしょうか。デジタル図書の登場、CD、その他の媒体の変化、掌サイズの再生機の出現と言うように、録音図書を取り巻く製作とサービスの現状は、予測を超えたスピードでダイナミックに変化し進化をしています。  この間当館でも、1998年にはカセット録音を終了し、MOディスクを媒体としたデジタル録音を開始。2004年には「録音図書ネットワーク配信サービス」を、続いて2005年には「録音図書ネットワーク製作システム」と、二つのシステムの実用を開始しました。  この2つのシステムは、どちらも「びぶりお」という冠を名前に付けて呼んでいます。「biblio」は、ギリシャ語の「biblion (書物)」から派生した言葉ですが、いずれもインターネットの仕組みとパソコンを使うことで実現できた新たな録音図書のサービスと製作のためのシステムです。 1.二つのシステムで実現を目指したもの  (1)製作期間の短縮と即時サービスの実現  10時間程度の録音図書1タイトルの製作に、これまでのスタジオ製作では20週から25週の期間を要していました。この製作期間を短縮することが極めて重要で、危急的な課題でした。  その解決方法として考えたのが、製作中の録音データと、製作に係わる情報をサーバ上で共有し、録音作業を効率的に行なえる仕組みと、更には「製作システム」で完成した録音図書のデータを、すぐさま「配信システム」のサーバにアップすることでした。また利用は、利用者が自宅パソコンの操作で、図書を自由に検索し、即時的に聴くことができる仕組みを実現することでした。  (2)メディアに依存した製作、サービスからの脱却  98年以前、録音図書の製作にはアナログ録音機器とテープメディアを使用してきました。しかし、これらは一般のオーディオ界やユーザのニーズによって、機器もメディアもその時々に変化するもので、その都度私たちはその対応に苦慮して来ました。  またサービスにおいても、テープやCDと言った媒体を利用者へ郵送するという方法であり、半世紀変わることなく続いてきたサービス提供の形でした。  このような状況を革新的に変える手段として考えたのが、インターネットやパソコンを使ったメディアに依存しないシステムの構築でした。   2.録音図書配信サービス「びぶりおネット」  サービス開始から6年目を迎え、多くの利用者に知られるサービスとなって来た感があります。サービスを支える配信用のサーバは、「WEBサーバ」のほか、図書の書誌データの検索・管理を行なう「書誌データベースサーバ」の機能や、「コンテンツサーバ」機能を合わせ持ち、2009年5月末現在、録音図書コンテンツ13,774タイトルを格納しています。  検索ソフトの操作から、再生専用ソフト「Net Plextalk」の操作についても全て音声でガイド。視覚障害者が戸惑うことなく操作できるシステムを実現しています。また、提供録音図書コンテンツはDAISY規格をサポート。再生速度の可変や、本の目次項目移動、送り、戻し、ページ移動、しおりなど、多彩な機能を持っています。 3.録音図書製作システム「びぶりお工房」  従来の録音図書の製作過程は、録音メディアの移動と共に直線的に進めて行くものでした。このメディアを使った直線的な作業方法が、製作期間を長期化させる要因の一つでした。それに対し、ネットワークを利用する製作システム「びぶりお工房」では、作業に係わるスタッフが作業を異なる場所に居ながら平行的に進められること、メディアの移動に要していた時間がないことが大きな特長であり、それにより製作の期間を大幅に短縮することが可能になりました。 このシステムは、グループウエアと製作中の録音図書の音声データを格納・管理しているサーバと、製作に関わる職員とボランティアが、それぞれ自宅で使用するクライアントパソコンが基本となります。クライアントPCには、録音と校正のための機能を持つネットワークワーク対応の録音・校正ソフトウエア「Recdia」をインストールし用いています。 4.「びぶりお工房」の作業の流れ  一つのコンテンツの製作は、3人がチームを作り作業を進めます。この3人をそれぞれ、コーディネーター(製作管理者)、リーダー(朗読者)、パートナー(校正者)と呼んでいます。作業はコーディネーターの製作コンテンツの書誌をサーバに登録することから始まり、続いて製作依頼を出します。依頼を受けたリーダーは、録音ソフト「Recdia」を使い録音を開始、録音した音声データはインターネットを使ってサーバに音声データベースとして蓄積して行きます。一方、パートナーは、サーバからインターネットを介して音声データをダウンロードし校正作業を行ないます。  録音、校正、修正、確認という作業スパイラルの中で行われる3者の情報コミュニケーション(作業依頼、下調べ表・校正表の作成・編集、各種連絡など)は、全てサーバに蓄積され、一元化されたデータとして情報を共有しているのです。全ての作業をWEB上で行なうことで、コンテンツの製作状況をコーディネーターが把握し、コントロールすることができることで、製作作業の効率化とスピード化を実現しています。 5.システムのこれから  ご紹介した二つのシステムは、運用開始から既に数年が経過し、その有効性は十二分に立証されたものと思っています。前述したように日本点字図書館は、メディアに依存しない製作とサービスを目指しています。その実現のための手段として、今後もこの二つのシステムは、その中核を担うシステムです。  「びぶりおネット」の利用者は、2009年5月末現在、個人2,164人、団体83団体が登録。昨年度一年間で33万6440タイトルが利用されています。一方、「びぶりお工房」は、全国各地に在住のボランティア85名によって、年間約230タイトルの図書を製作しています。  近い将来、サーバ機能の拡張を図り、全国の録音図書製作団体やボランティアグループとの間で、このシステムを使った製作とサービスのネットワークを順次実現したいと考えています。地域コミュニティーに捕らわれない図書の製作スタイル、24時間いつでも何処でも利用できるサービスという目的を、考えを一にできる施設、ボランティアとの協働によって実現したいものです。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     デジタル録音図書再生機の過去、現在、未来      シナノケンシ株式会社 福祉・生活支援機器ビジネスユニット 西澤達夫  読書機の開発に携って丁度15年になりました。最初に自己紹介も兼ねて、過去を振り返ってみたいと思います。個人的な話で恐縮ですが、それ以前は半導体の会社に所属し、音声合成や音声認識、信号処理のLSIの応用技術を担当していましたので、「音声」との関わりでいうと足掛け30年近くになり、ライフワークとも感じている今日この頃です。  こんな背景も有り、最初にカセットテープのデジタル化のお話を伺った時から、問題を理解して解決策を見出すのは大変でしたが、反面でやりがいのある仕事と巡り合えた偶然(必然?)を感謝しています。  さて、皆さんは、過去よりこれからどんなサービス・製品が登場し、自分達で利用できる様になるのかが最大の関心事と思いますが、過去を学ぶことは将来を予測するのに欠かすことはできません。ここでは、個別の技術課題の解決としての製品開発という視点では無く、技術の成熟・普及と製品への導入という観点で振り返ってみたいと思います。勿論、一番大事だったのは、各方面で活躍されている人々との出会いで、その中でご教授頂いたことを抜きにはPlextalkの製品化は有りえなかったことをお断りしておきます。なお、これから述べさせて頂くことは、あくまで私の個人的な見方で有り、技術開発論の様な体系だったものでは有りませんので、ご了解の程お願い申し上げます。  最も大事なことは、適正な価格で提供させて頂くことです。これは将来も変わらない普遍的な基本原則と考えます。別な表現をすると、お金をいくらかけても良いという条件なら、カセットのデジタル化はもっと早く進んでいたはずです。DAISY再生機であるPlextalkの登場の背景には、二つの大きな技術要素が不可欠でした。その一つは安価で書き込みができる大容量の記録メディアで、具体的にはCD-Rの技術です。1990年代は、従来のフロッピーに変わる大容量のデータ配布メディアとしてのCD-ROMが普及するとともに、その書き込み版であるCD-Rが登場しました。メディアの単価が安くなるとともに、書き込み速度・安定性も向上し、録音図書の記録メディアとして不動の地位を築きました。  二つめは、私が得意としている(得意と思っている)音声をデジタル信号処理できる安価な高性能CPUの登場です。従来は、DSPというデジタル信号処理に特化した専用のLSIが必要でしたが、半導体の集積が進み、比較的安価な汎用のCPUでもMP3等の圧縮音声の解凍処理が可能となりました。実は、DAISY規格の詳細の検討を開始した当初の1996年ごろは、PCと異なり、CPUの演算能力やメモリ容量で劣る再生専用機用の特殊フォーマットが必要と私自身も主張していましたが、実際の商品化のころには、特別な配慮は不要になっていました。こうして、最初の市販DAISY再生機であるTK-300を、4万円を切る価格で1998年に提供させて頂くことができました。  その後は皆さんもご存知の通り、同じ技術の流れに乗って、録音ができるPTR1・PTR2、TK-300の後継機であるPTN1を2005年にかけてお届けしてきました。ここで、将来を占う意味でここ数年の技術的なトピックを整理してみたいと思います。一つ目は、SDカードやUSBメモリ等の半導体メモリ集積度の向上とそれに伴う急激と言っても良い価格低下です。二つ目はTTS(音声合成)の普及と音質向上です。昨年12月登場したPTP1ポケットは、SDカード(2GB標準添付)を記録メディアとすることで、CD機と比較して圧倒的な小型・軽量化を実現できました。また、TTSの搭載で身近にあるテキストやHTMLファイル(その他のファイルフォーマットも計画中)が読めるため、情報入手ツールとしての活用範囲を広げることができました。  三つ目は、ネットワーク環境の家庭への普及と高速化、低価格化です。加えてネットワーク用の半導体も安価に入手できる様になりました。  ここで話題を変えて、「利用者にとって理想的な読書環境とは」という視点で将来の読書機を論じてみたいと思います。それは「いつでも、どこでも、自分が必要とする図書(情報)を自分で選んで聴く」ということになると思います。当社も2000年ごろから、点字図書館関係者のご協力を得てネットワーク配信の実証実験を行って来ましたが、そのころから、簡単に操作できるネットワーク対応の再生専用機の強いご要望を頂いていました。  今年ようやく前述の様に技術的な背景が整い、ネットワークに接続可能なインタフェイスを持った再生機をPTX1の名称で英国を皮切りに海外では3月から、順次各国に提供させていただくことになりました。ここでは詳細の紹介は省かせて頂きますが、PTN1とほぼ同じサイズで、CDの再生の他、SDカードとUSBメモリの再生に加えて、ネットワーク接続にも対応できる多機能な再生機です。またカバーを装着して操作キーを限定することで、カセットとほぼ同等の簡単な操作性を実現しました。  さて、ここからが本論ですが、ネットワーク配信においては、再生機というより、情報端末といった位置づけが正しい表現で、どの様な情報が入手できるか、またどうやって必要な情報を検索するかについては、サービス提供を行う情報提供機関との密接な連携が不可欠です。英国でこんな話を聞きました。「アナログ放送がデジタル化されて、テレビのチャンネル数が6からいきなり100以上に増えてしまい逆に聴きたいチャンネルが選べなくなってしまった。」  同じことが、ネットワーク配信にも言えると思います。多くの情報の中からどうやったら自分が欲しい情報を簡単に探せるか?等についてまだまだ研究が必要と考えます。利用者の方々は勿論、サービスを提供されている情報提供機関の皆様と一緒にこの問題を解決していきたいと考えていますので、ご協力の程お願い申し上げます。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     なごや会への期待                      DAISYコンソーシアム会長 河村宏 1.強みを生かそう  公共図書館に働く視覚障害者の会としての「なごや会」の最大の強みは、視覚障害を知り、視覚障害者の図書館利用法を熟知していることです。  会の目的は「わが国公共図書館の障害者サービス発展に寄与する」ことにあり、そのために「職務上の課題解決に向けて力を合わせ」ることですから、視覚障害者への図書館サービスについては、その「強み」は十分に発揮されてきたと思います。問題は、この「強み」がそのままでは通用しない分野での障害の理解と、その分野での障害者サービスの充実にどう取り組むかです。  ここで注目したいのは、会則の「職務上の課題解決に向けて力を合わせ」という部分です。視覚障害という共通の課題を持つ公共図書館員の集まりという「場」を設けて、公共図書館の職員として共通に持つ「職務上の課題」を解決する会であれば、「なごや会」会員の皆さんが、そのような「場」があることの良さを最大限に発揮して来年1月1日から始まる図書館の障害者サービスの新時代に対処することを期待したいと思います。 2.2010年は日本の公共図書館の障害者サービス元年  国連障害者権利条約や発達障害者支援法および特別支援教育の本格実施などを受けて、2007年10月12日に「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会中間まとめ」が公表されました。これが、2010年1月1日に施行され公共図書館と国立国会図書館の障害者サービスを根本から変える可能性を持つ著作権法改正の理由を示しているので、その要点を引用します。  「知的障害者、発達障害者等にとって、著作物を享受するためには、一般に流通している著作物の形態では困難な場合も多く、デイジー図書が有効である旨が主張されており、著作物の利用可能性の格差の解消の観点から、視覚障害者や聴覚障害者の場合と同様に、本課題についても、何らかの対応を行う必要性は高いと考えられる。このような観点から、視覚障害者関係、聴覚障害者関係の権利制限の対象者の拡大を検討していく中で、権利制限規定の範囲の明確性を確保する必要性はあるものの、可能な限り、障害等により著作物の利用が困難な者についてもこの対象に含めていくよう努めることが適切である。その際、複製の方法については、録音等の形式に限定せず、それぞれの障害に対応した複製の方法が可能となるよう配慮されることが望ましいと考えられる。」  これが、2008年9月施行の著作権法33条2(教科書関係)改正と、2010年1月1日実施の37条(すべての障害者に対して公共図書館・国立国会図書館は無許諾でマルチメディアDAISYへのフォーマット変換もできる)改正の背景説明です。 3.図書館利用に障害がある人々の連携  なごや会の会員の皆さんは熟知していることですが、現行著作権法では、公共図書館の普通の蔵書を視覚障害者等の利用者のために録音する時は、著者から許諾を得る必要があります。30年以上前に設立された日本図書館協会障害者サービス委員会は、設立当初からこれを無許諾でできるようにという要求を掲げてきました。これがやっと2010年から実現しようとしています。視覚障害者読書権保障協議会(視読協)と緊密に連携して活動していた同委員会は、図書館の利用に困難がある人々という広い対象者への図書館サービスの開発と提供に携わり、聴覚障害者ワーキンググループや多文化識字ワーキンググループを設けたり、内部障害、刑務所図書館等、障害を核に、言語文化や社会的環境にも考慮した基本的人権としての図書館を利用する権利を保障する取り組みをしてきました。  このような多様な取り組みの中で、レンタルビデオやCDを規制するために新しく「貸与権」を設ける著作権法改正の際に、一方的に著作権者の権利だけを拡張するのではなく、障害者の著作物の円滑な利用にも政府等関係者が努めるべきであるという障害者と図書館の要求を国会審議に反映させる活動を行いました。最終的に全会派による国会の附帯決議として実を結んだ障害者サービス委員会のこのアピールに最も敏感に応えたのが、聴覚障害者ワーキンググループのネットワークで連携していた熊本の聴覚障害者のための字幕入りビデオ製作団体でした。地元の国会議員に話をしてこの国会決議のきっかけを作ってくださった聴覚障害者情報提供の方に最近会いましたら、「当時、視覚障害者中心の視読協が、幅広く図書館利用に障害がある人々に視野を広げて活動していることを知りとても大きな影響を受けました」と言っていました。この附帯決議こそが、1999年から2000年にかけて障害者放送協議会著作権委員会が視聴覚障害者について「公衆送信権」の一部制限を実現し、その後、本年6月12日の著作権法37条等の改正によるすべての障害のある人にかかわる情報アクセスの保障のための著作権の制限に至る国会における25年にわたる一連の取り組みの出発点です。 4.なごや会会員の皆様への期待  なごや会の会員が、公共図書館の障害者サービスを通じて基本的人権としての情報アクセスの保障を実現する専門家としての図書館員であってほしいと思うのは私だけではないと思います。全国の公共図書館には、視聴覚だけでなく、様々な身体障害や、認知、知的、精神の障害があり、それだからこそ、共感をもちつつ的確な対処の仕方を熟知するプロの図書館員にいてほしいのです。  私が多くを学ばせてもらっている浦河べてるの家の人々は、「自分が苦労していることの情報公開」を奨励し、「他人の理解を得る技術」を向上させ、同時に「長所さがしの名人」になることを目指して、ミーティングやソーシャル・スキル・トレーニングを重ねています。べてるの家では、薬によって極度に集中が難しかったり、幻聴などで混乱しやすい人が多いので、身近な人や場所が出てくる手作りのマルチメディアDAISY版の津波避難マニュアルを提供して避難訓練に活用し、避難スキルを向上させることによって、いたずらに不安を持つことなく「安心」を手に入れることに成功しています。  浦河でDAISYの活用を最初に提案したのは私ですが、それを活用し、自分たちのものにしたのは浦河べてるの家の皆さん自身です。タイ盲人協会会長で上院議員になったブンタンさんは、DAISYは視覚障害者から世界のすべての人への贈り物だ、とよく言います。彼は、DAISYの良さを熟知しており、知識社会においてすべての人に対等な情報アクセスを保障できる最も有望な電子出版の形式であることに確信を持っています。2010年中に開発を終える予定のDAISYの最新規格(DAISY 4)は、手話等の動画や、ルビや縦書きという日本語固有の要求も満たす予定です。  なごや会の皆さんが、出版と同時に誰にでもアクセス可能な電子出版のオープン・スタンダードを世界で最も早く全国的に導入した国のDAISYユーザとしてDAISYを熟知する強みを生かして、2010年に新しく公共図書館の障害者サービス利用者となる人々を積極的に迎えてくださることを期待します。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     大活字資料への思い                         千葉市中央図書館 大川和彦  私の職場、千葉市中央図書館では貸出カウンター正面に大活字本コーナーがあり、多くの利用があります。急速に進む高齢化社会の中、録音図書等とともに、大活字資料に対するニーズは高まっています。今回、機会を頂きましたので、ユーザとしての立場から思いを述べてみます。    時々、利用者から、「ほとんど読んでしまったけど、新しいものはないの?」というような問い合わせを受けます。著作権の問題などがあるかと思いますが、現在のラインナップが、長く読み継がれている名作文学中心ですので、おもな文学賞受賞作や話題になった本くらいはあると良いですね。また、比較的若い読者にも人気のあるものも少しずつでも良いので増やしてもらいたいものです。  それから、私は、小説などはルーペを使用しながら読むことがありますが、文学書より文字ポイントが小さいもの、実用書の類、雑誌類は例え興味があっても、読むことを諦めたり、長時間の使用だと疲れてしまう拡大読書機を使用しています。雑誌の場合、記事の旬が短く、大活字版発行までの時間差があると資料価値が上がらないという問題から難しいかも知れませんが、旅行ガイドなどは見やすいものがあると、利用希望もあると思います。このようなものの場合は特にそうですが、文字ポイントの大きさは、従来の大活字本のポイントよりも小さめの、14ポイント位、部分的には12ポイント位の『中活字』でも良いかと思います。  活字ポイントについては、ロービジョンの人の見え方は、千差万別ですので難しいところですね。拡大写本制作を行う場合の多くは、その利用者の状況を確認して、その方の仕様にします。近頃、大活字本出版に際しても好きなポイントを指定出来るオンデマンドスタイルもあるようですが、このような取り組みの広がりも期待されます。  価格面についても点字本同様の価格差保障を求める動きがありますが、これが認められたら普及に向けて非常に大きな一歩になりますね。  国民読書年を控え、より多くの方に必要な資料が行き渡るため、この分野の今後の展開に期待しています。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     「大活字本を普及させることで、暮らしやすい社会をつくる」                   大活字本普及協会理事・事務局長 市橋正光  大活字本普及協会:www.daikatsujibon.jp 1.大活字本普及協会発足の背景  現在の日本において、弱視者(低視力者・高齢者)も読める大活字本の専門出版社は、1社のみです。欧米諸国では、30年以上前から、弱視者(低視力者・高齢者)も読める大活字本が、一般の書店で、購入できるくらい普及していますが、日本においては、大活字本の普及が大きく遅れています。 2.弱視者(低視力者・高齢者)も読める大活字本  弱視者から読める大活字本は、基本の文字サイズ・フォントとして22ポイントゴシック体で編集されています。公共図書館を中心に、12年程前から所蔵・貸し出しが始まり、弱視者だけでなく、その多くの読者は、実は低視力者・高齢者なのです。つまり、弱視者から読める大活字本は、低視力者・高齢者等も含む視力がある全ての人にとって、読みやすいのです。最近では、3つの判型と文字サイズから、見やすさに合わせて読めるオンディマンド大活字本も出版され、全ての人に読みやすい大活字本は、新たな出版市場に成長する可能性もあります。 3.大活字本普及協会の事業目的  大活字本普及協会は、弱視者(低視力者・高齢者)も読みやすい大活字本の普及を進めることによって、弱視者(低視力者・高齢者)も含む全ての人が暮らしやすい社会をつくることを事業目的としています。 4.大活字本普及協会の組織  大活字本普及協会は、視覚障害者団体や図書館団体等の福祉非営利団体グループと、治療を行う眼科医グループ、出版社・印刷会社等の営利企業グループの3つのグループの協力と連携から成り立っています。  福祉非営利団体、医療とリハビリテーション、営利を追求することで社会貢献を行う企業という3つの目的が異なるグループの連携・協力を図ることで、弱視者(低視力者・高齢者)の願いを実現し、暮らしやすい社会づくりを行います。  現在、大活字本普及協会は、特定非営利活動法人申請手続き中で、大活字本の普及を促進することで、弱視者(低視力者・高齢者)の願いを叶える活動を展開しています。 5.今までの活動内容  @ 神保町の老舗書店「東京堂書店」、ブックハウス神保町にて、キズ本の500円特価販売を行いました。月平均で15冊以上の販売結果になり、現在も継続中です。低価格にした場合には、書店に来店する一般読者にも、楽しんでいただいていることが確認できました。  A 大活字本100人プレゼント BBA(視覚障碍者読書支援協会)の協力で、1000タイトルの出版許諾済みタイトルから、先着100冊を無償でお届けするサービスを継続中です。申し込みされた方は、14歳から85歳、3つの判型・文字サイズから、自由に選んでいただいており、1000タイトルの選択枝があること、3つの判型・文字サイズから選べるオンディマンド出版のニーズが大きいことをあらためて確認しました。 6.大活字本普及協会の今後の活動  @ 弱視者(低視力者・高齢者)の施設利用サービス  現在、視覚障害者の8割を占める弱視者は、公共図書館や点字図書館等の情報提供施設を、ほとんど利用していません。その理由としては、弱視者も読める大活字本の所蔵が少ないことや、施設設備や案内表示等、サービスを利用しづらい環境であることが考えられます。弱視者(低視力者・高齢者)にとって、利用しやすいサービスを調査・研究し、利用を促進することは、低視力者・高齢者を含む、全ての人にとっても利用しやすい施設づくりにもつながります。  A 直販価格大活字本  1冊2980円程した大活字文庫の販売価格を大活字本普及協会に直接注文した場合に限り、1890円(税込)としました。書店店頭で申込をする新潮社・ちくま書房の約750タイトルで展開している「大活字オンディマンドブックス」の販売価格についても、1冊5000円を1890円(税込)にしました。大活字本普及の長年の課題となっていた高価格設定が大きく改善されました。  B 大活字本普及協会流通センターの開設  2009年3月15日に、大活字本を全国の読者に確実にお届けすることを目指し、東京・新宿区就労センター内に、大活字本の流通センターを開設しました。3月末には、拡大教科書の梱包・発送を同センターにて行い、全国の300校以上に在籍する弱視児童・生徒に、拡大教科書を1冊単位から確実にお届けしました。弱視者(低視力者・高齢者)も読める大活字本は、3種類の判型・文字サイズを同価格で提供する出版物ということもあり、読者のニーズに、確実に応え、届けるしくみが必要です。新宿区就労センターは、知的障害者の就業作業所としての機能、在庫保管機能を備えており、障害者の就業機会の確保にもつながっています。作業精度とスピードは、健常者の作業と比較しても、ほとんど変わらず、全ての人が暮らしやすい社会づくりにもつながります。 7.今後の予定  2009年10月31日(土)に大活字本シンポジウムを、本の街・神保町の教育会館にて開催します。前日には、全国図書館大会が開かれ全国から図書館員が集まり、さらに同時期に、神保町ブックフェスティバル、江戸文化歴史検定が同じ神保町で開かれます。大活字本シンポジウムでは、日本で初めて、弱視者(低視力者・高齢者)が「読書への想い」を語り、「読むこと・生きること」つまり、読書することは、生きることにもつながるという読書の原点を見直し、弱視者(低視力者・高齢者)も読める大活字本の普及を、全ての人が暮らしやすい社会づくりにつなげていきます。 8.まとめ  大活字本普及協会の活動を進めていくことで、「弱視者」という言葉が、見えにくい人「弱視者・低視力者・高齢者」の全てを表す言葉として、一般的に使われるようになる日が来ると信じています。今まで、弱視者(低視力者・高齢者)の読書環境について、出版関係者、図書館関係者、点字図書館・医療関係者・学校関係者等の間で、本格的に論じられることはありませんでした。大活字本普及協会は、弱視者(低視力者・高齢者)も読書する機会を提供し、読書習慣を身に付けること、または、大人になってから読書することが難しくなった方には、読書の楽しみを思い起こしてもらえるように、大活字本の出版点数の増加と読書機会を拡げていきます。弱視者は、大活字本で読書することと合わせて音訳化された図書でも読書することがあります。大活字本と音訳図書や、点訳図書等を同時に出版することによって、全ての人に読書機会を提供することにもつながります。私は、「読むこと、生きること」という言葉を大切にしています。人が生きていく上で、読書する機会を得られることは、生きることにもつながるのです。  大活字本の普及を進めることは、読書の楽しみとその原点を見つめ直すことになり、全ての人に読書機会を提供することを実現し、全ての人が暮らしやすい社会になることにつながると信じています。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     書籍編集者としてできること                             読書工房 成松一郎 ■書籍編集者って?  私は長い間、出版の仕事をなりわいにしてきました。自己紹介などの場面で、自分の職業を紹介する際は、「書籍編集者」という肩書きを名乗ることが多いです。  この「編集者」という仕事を一般に理解してもらうのはなかなかむずかしく、いまだに私の両親には正しく理解されていません。  いまから二十数年前、やっとのことで出版社に就職が決まり、就職してから数ヶ月後その報告をしに、実家に帰ったときの父親とのやりとりです。 「お前、なんの仕事に就いたんだ」 「出版社で編集者をやってる」 「編集者ってどんな仕事をしているんだ」 「本をつくってる」 「本をつくるって、じゃあお前が本を書くのか」 「いや、本は著者が書く」 「ん? お前が本を書かないんなら、お前はなにをしているんだ」  それから延々と仕事の内容を説明していきましたが、禅問答みたいになってしまい、なかなかイメージしてもらえないまま現在に至っています。 ■編集者=ディレクター+プロデューサー  最近自分の仕事を説明する際、映画の仕事に置き換えて説明することがあります。  商業映画において、映画の内容全体をディレクションする映画監督(=ディレクター)と、映画をプロデュースするプロデューサーは別な人が担当していることがほとんどです。  しかし、エンドロールに多くて数百人もの名前がクレジットされる映画とは違い、書籍の奥付を見てみると、1冊の本にかかわっている人はそれほどの数ではありません。よって、書籍編集者の多くはその本のディレクターとしての顔だけではなく、プロデューサーとしての顔をもつ場合が多いと思います。 (奥付に掲載されている「発行者」は、慣例的にその出版社の社長の名前をクレジットしている場合が多いのですが、最近は編集責任者の名前を入れるケースも増えてきましたし、実質的なプロデューサーは、編集者である場合が多いと考えてよいと思います)  では、プロデューサーの役割とはなにか。それは、自分がプロデュースしている作品(商品)を一人でも多くの人に見てもらいたいという想いが原点だと思います。読んでもらえるような方策を考え、採算をとりながら実行していくことが肝要です。  その場合、図書館にも買ってもらうことで、アーカイブに遺していくこともプロデューサーの重要な役割の一つです。これは、図書館を通して、末長く読者との出会いを作り、未来の読者に利用してもらえるようにするための大切な仕事です。  ところが残念なことに、多くの書籍編集者は自分を中心に身の回りの人を基準に物事を考え、短期的・閉鎖的なマーケットだけを考えがちですし、「読者」のイメージがステレオタイプになりがちです。  つまり、より多くの読者に自分がプロデュースしている作品を届けたいといった場合、さまざまな読者のニーズをある程度知っていれば、そうした読者からのリクエストがあった場合、合理的な配慮を考えていくことは自然なことです。  すぐには配慮できなくても、少なくても「課題」として読者の声を聞きながら、工夫していくことが望まれます。 ■テキストデータ提供の現状  さて、今回なごや会から「テキストデータ提供」に関する内容の原稿依頼をいただきました。私がやっている読書工房では原則として、直販の場合に限り、本の購入者の中でご希望の方にはテキストデータを同梱して販売しています。  しかし、全盲の読者などで、墨字の本は不要だけど、テキストデータだけ購入したいという人がいると思います。  そこで、私が事務局長をつとめているNPO法人バリアフリー資料リソースセンター(BRC)では、読書工房、生活書院、解放出版社、明石書店をはじめ、いくつかの出版社が発行している書籍のテキストデータを原本と同価格でネット販売しています。  いまから2年前のことですが、BRCでは、モニター会員を募り、モニター会員がリクエストした書籍のテキストデータを出版社から提供してもらうための交渉を、実験的にやってみました(モニター会員が原本を1冊購入することを条件にしました)。  その結果、大手出版社に対する交渉はとても難航しましたが、中小出版社の場合、趣旨に賛同して、提供してくださる出版社がありました。その中の一社は、編集者がわざわざパソコン上でレイアウトソフトからテキストデータに落とし込む作業をしてくれました。  じつは作業自体はそれほどむずかしいものでなく(教科書や雑誌などはレイアウトが複雑で図版が多いため、むずかしい場合がある)、むしろつまずきやすいポイントとして、どのようなテキストデータにすればよいかというマニュアルが無いため、どう提供してよいかわからないということが明らかになりました。  そこで、BRCでは、車両競技公益資金記念財団の研究助成を得て、テキストデータ編集のためのマニュアルづくりに取り組んでいます。とくに、図やイラスト・写真などの説明をどのようにテキストデータ化するかについて、音訳マニュアルの製作にかかわった経験のある方などに委員になっていただき、検討を重ねているところです。  また、大手出版社の場合、なかなかテキストデータの提供が実現しない事情として、分業体制が進んでいて、テキスト抽出の作業を社内あるいは社外に依頼すると、人件費がそれだけかかってしまい、その費用をどこが負担するのかということが大きな問題になってしまうためです。 ■編集者ができる合理的配慮とは  冒頭にも書きましたが、書籍のディレクターであり実質的なプロデューサーでもある編集者が、もっと多様な読者の存在に気づき、書籍をプロデュースする際、ユニバーサルデザインを意識していくことが必要です。そして、読者への合理的配慮のあり方について、もっと意識を高めていく必要があります。  私は書籍編集者の一人としてできることはなにかと考え、同じ仕事をしている仲間、そして関係するライター、デザイナー、印刷関係者などに、読者のニーズを伝える場として、2005年7月から出版UD研究会というボランタリーな勉強会を続けています。過去20回の研究会にのべ850人の方々にご参加いただきました。  出版UD研究会自体はとても小さな試みだとは思いますが、参加者の「気づき」の場を続けていくことによって、参加者が自分の仕事や生活をしている日常に持ち帰り、小さな実践がどんどん生まれていくように願っています。  また、私自身はこの春から専修大学文学部で出版メディア研究の授業を兼任講師として担当することになりました。これから編集者をめざす若い人たちにさまざまな読者の姿を伝え、編集者として担える役割を一緒に考えていく場を作っていきたいと思います。 特集1「広がれ!障害者用資料への夢」     布の絵本の可能性                        東京布の絵本連絡会 渡辺順子  「布の絵本の可能性」というテーマをいただいたとき、私の頭の中には多様な可能性が夢として広がりました。どんな運動も「継続」するということは、常に日常活動と同時進行で「可能性追求」があるからです。  すずらん文庫も今年は36年目です。その間、家庭文庫から始まって、障害をもつ子とともにすずらん第二文庫開設、やがてすべての赤ちゃんが絵本と出会うために保健所文庫開設、そして発展途上国にも文庫をと広がっていきました。  私の布の絵本の取り組みは1981年にスタートした第二文庫から始まります。第二文庫の準備期間も入れると30年余になります。その第一歩は、すずらん文庫に「布の絵本」がある(偕成社から借りていた作品)ということを聞きつけて来られた、全盲の小学生親子との出会いと、保健所の母親学級を傍聴されていた、点頭てんかんの赤ちゃん母子(第二文庫初期代表)との出会いがきっかけでした。  テーマの「布の絵本の可能性」については、四つの側面からまとめてみました。第1は布の絵本を使用する子どもたちの側面から。第2に作り手の立場からの可能性。第3に図書館にとっての布の絵本の可能性。第4に現代社会からみた可能性です。 1.布の絵本を使う子どもたちの立場から  まず布の絵本の特質を確認いたします。布の絵本とは素材が布でできている絵本で、遊具、教具性(絵の具体物がマジックテープ、ボタン、スナップなどで着脱できる)があることです。布の絵本の機能は@ことば・母語を促す(聞く力を育み、母語の音の響きを楽しみながら、ことばの獲得とコミュニケーションの喜びを身につける)A物の認識(衣・食・住、日常生活に必要な物の名前、動作の意味を知る)B色、形、数の認識(コミュニケーションに必要な情報の獲得) Cことばを話す(獲得したことばから日常会話ができるようになり、やがて印刷絵本の世界へも移行) D着脱衣の練習を楽しみながら促す(ボタンはめ、スナップ止め、ファスナー、紐結び等、自立に必要な着脱の基本が育つ=生きる自信・自立に)E何よりも布の絵本の遊具性は、繰り返し楽しく遊びながら、子どもの自発性、主体性、積極性、集中力、観察力等々が発揮され、結果においてどんな子にも自立に必要な作動能力や言語能力を身につけることができます。 2.作り手の立場からの可能性  大量生産、大量消費、大量廃棄の時代に、@「手作り」という人間ならではの基本の営みを回復させ、Aボランティアという社会参加の喜びは、作り手にとっては人生充実であり、B地域コミュニケーション喪失の現代、新しい人間関係の回復の場にもなっています。Cリサイクルによる作品制作は環境と創造の喜びにも通じます。D何よりも子どもたちへの手づくり絵本作成は、次世代育成でもあるのです。E普及活動としては、図書館の制作ボランティア活動のみならず、育児支援として母親たちの講習会、老化予防としての高齢者施設での講習会、学校教育での講師活動など広がっています。働く女性の講習会から「勤労者布の絵本連絡会」も生まれて11年目。病院など50余施設に100冊超える寄贈をしています。 3.図書館にとっての布の絵本の可能性  これまで布の絵本の殆どは、全国的には「おもちゃ図書館」に寄贈されてきました。そのことの大事さを認めながらも、私は「公共図書館」に布の絵本のあることを、常識にしたいと思っています。それは心の「バリアフリー」実現のためです。私の居住している練馬区では1984年から、その実現のために実践があり、現在延べ1000人を超えるボランティア養成をし、800冊を超える布の絵本が一般図書と同じく、すべての人に貸し出されています。私は第二文庫から学んだ一つに障害をもつ子の親子が、利用しにくい公共図書館の問題は、一般利用者の「心のバリア(障壁)」であることに気づきました。老若男女が無料で利用する公共図書館に布の絵本があって、赤ちゃんも障害をもつ子ももたない子も、自由に手にとって楽しむことによって、一般利用者の「心のカベ」を少しでも低くしたいと願っています。その実例は既にありました。2006年訪ねたフランスのツールーズ中央図書館では、地下1階は広々とした乳幼児向け絵本のフロアーでした。そこには市販の布の絵本コーナーがあり、ダウン症の子ものびのび一緒に絵本の世界を楽しんでいました。更に3階は視覚障害者専用フロアーで分厚い点訳図書、拡大図書の書架がずらり。流石、ブライユの国と感動しました。何よりも対応された図書館職員の暖かな眼差し、障害児や障害者への視点の確かさに心打たれました。持参した布の絵本2冊とそのキット、作り方・使い方のDVDの寄贈にも、大変感謝されました。日本の図書館が委託や指定管理者問題で揺れる現実からは、とかく悲観論に陥りがちですが、フランスの図書館事例から希望につなげています。これからの図書館における布の絵本の可能性として、在住外国人の親子の図書館利用に役立つと言うことです。親には生活に必要な日本語のマスターに、子どもにはプラス母語の習得の絵本として。布の絵本の出会いから子ども同志の交流も始まります。国際理解にも役立つのです。日本は子どもの権利条約を批准しているのです。外国籍の子も、障害のある子も、赤ちゃんもすべての子どもに「育つ権利、学ぶ権利、生きる権利」は保障されているのです。その場こそが公共図書館であり、その役割、使命は非常に重いと思います。 4.現代社会と布の絵本の可能性  私は21世紀における「布の絵本」、それは人類共通の課題である「人権・環境・平和」の実現のために、世界各地の人々と共に「ひと針の行動」から始めたいと願っています。行動は一人一人の意識を変えます。そのためにもまず、すべての子どもに読書の喜びの前提に、ことば、母語の喜びを!と主張しています。特にことばの獲得が困難な障害をもつ子や、テレビ子守、虐待時代に、ぬくもりのある布の絵本で親子コミュニケーションを満たし、豊かなことば育てをしたい。そして何よりもそのことばで考え、判断し、21世紀はなんとしても殺し合う「戦争の世紀」ではなく、対話による「平和の世紀」にしたい。それは可能です。実現させなくてはなりません。  黒人オバマ大統領の実現と核廃絶プラハ演説や「貧困の終焉」ジェフリー・サックスの著書を読むにつけ、布の絵本の国際的広がりに向け、「平和」の祈りを託していることに間違いないと確信いたしております。  詳しくは著書『ことばの喜び・絵本の力〜すずらん文庫35年の歩みから〜』(萌文社(2008年9月発行))第4章を読んでいただきたいと思っています。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜     知恵と行動力でつむいだ20年                                代表 川上正信  私たちが年2回会員向けに発行している会報が30号を数えました。結成20年目の記念すべき年にもあたり、記念号としていつもとは違うボリュームで視覚障害者を取り巻く情報環境の現在と未来を創造する内容を組みました。  なごや会は会員一人一人の知恵と力、支えてくださった皆様のおかげで結成20年を迎えることができました。わが国第一号の図書館職員が着任し、1978年に私が横浜市の図書館に勤務するようになった後、1982年から10年間の「国際障害者年」の社会的機運の高まりもあって、その後図書館で働く職員が増えていきました。自治体内で他部署へ既に移動した方もいますが、現在19自治体に23名が図書館で働いています。  図書館で働く視覚障害者が10人になったのを機になごや会は1989年9月組織されました。なごや市内の当時の「王山会館」(現在のルブラ王山)で、全国から20代〜30代の血気盛んな若者が大きな期待と不安を抱いて集まりました。この時、代表に田中章治さんを選び活動が始まりました。  「なごや会」の現在の会員構成は、公共図書館に働く者が2分の1を占めますが、半数は視覚障害者情報提供施設(点字図書館)や文書館、点字出版関係などの施設に勤務する者など多彩です。はじめの10年ほどは会員の親睦・交流の機会をつくることに活動の主眼がおかれました。図書館の視覚障害者サービスも未成熟な段階でした。都立中央図書館や埼玉県立川越図書館(当時)、横浜市中央図書館などの先進館の業務を参考にしながら、自館のやり方を模索していた時代でした。職場内に生じるいろいろな悩みにも多くの共通点がありました。結成の2年後から会報を発行するようになり(1996年からは年2回の定期的な発行となりました)、会員の貴重な情報共有の場となって行きました。時々の課題を特集記事として組み、新しい動きをいち早く伝えるニュースの源となっています。(年表を参照してください)  年に一度例会を開いてきました。会員のいる図書館と近くの宿泊先を会場として総会や研修会を行って時々の図書館の課題を確認・学習しながら情報を共有してきました。名古屋市で開かれた結成10年の例会では、公開シンポジウム・パネルディスカッション「いま公共図書館に望むこと、視覚障害者サービスを中心に」を開催、音訳ボランティアなどへ呼びかけて外部にも開かれた催しも行ってきました。  会員同士が顔見知りになるに従って会の外へと活動が広がって行きました。図書館で働きたいという学生さんへの支援を行うようになりました。相談に乗ったり、就職を希望する自治体(大阪府や京都府等)へ要請書を出す等の働きかけを行った結果、1998年度には大阪府ではじめて採用試験が行われ、なごや会の会員が合格するということもありました。  なごや会の会員はみな二つの「かお」をもっています。職員であるとともに、利用者の立場を代弁し業務に反映できるという強みをもっています。図書館界への働きかけも多く取り組んできました。国立国会図書館への雇用とサービス拡充については長年に渡って特に力を注いできた分野でした。1992年10月には「国立国会図書館の障害者サービスを考える連絡会」も結成されてなごや会も参加しました。1995年2月には、同連絡会は、国会図書館に障害者の雇用を求める請願を行い、衆参両院で採択されたにも関わらず、国会図書館は、視覚障害者の行える仕事がないとの見解を示し今日に至るまで同じ姿勢をとっています。同年から1997年を中心に議員要請、総務部長への陳情などなど、運動は断続的に行われました。雇用を進める当事者団体との共催でシンポジウムも開かれるなど、何とか雇用を実現させたいという関係者の熱い思いが燃焼し続けた時期でした。  DAISY(デイジー)図書普及の進行にも参加してきました。日本図書館協会内に常設されたDAISY促進委員会の作業委員会に委員が参加したり、潟Vナノケンシのプレクストークやデジタル録音機開発段階からユーザの立場から助言を行うなどしてきました。DAISYがわが国で採用されるようになって10年が経過しました。製作ソフトの普及によってDAISY図書や雑誌の数は年々増加しています。ただ、編集の仕方を含め、これまで録音図書製作基準がなく、製作の標準化を必要と考えた私たちの提起によって昨年から統一基準づくりが始まっています。  20年の歩みの中では、読書関係者への問題提起も行ってきました。2004年2月には、なごや会主催、図書館問題研究会共催による「出版物のアクセシビリティを考えるセミナー」を開催し大きな反響がありました。このセミナーは今日の読書のアクセシビリティを求める運動の広がりにつながったと自負しています。  これ以上の詳しい活動はそれぞれ詳しく担当者が書いていますのでそちらに譲るとして、この間の活動には会員の知恵と創造、そして労を惜しまない行動があったことを喜び合いたいと思います。顔を合わせば笑いの絶えない気風がなごや会にはあります。次の新たな時代に向かって力を出し合いさらに歩を進めたいと思います。ご支援をよろしくお願いいたします。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜     出版と研究活動                             事務局長 服部敦司  なごや会では図書館の視覚障害者サービスに関わる資料の作成と出版、それにDAISYを中心とした研究活動を行ってきました。私からはそれらの活動をご紹介します。 ■資料の作成と出版活動 @『今後の公共図書館に望むこと − 視覚障害者サービスを中心に(なごや会結成10周年記念パネルディスカッション記録集)』(2001年3月発行)  1999年、なごや会は結成10周年を迎えました。この年の例会は結成の地である名古屋市で開催。記念イベントとして「公開シンポジウム・パネルディスカッション『いま公共図書館に望むこと、視覚障害者サービスを中心に』」を行いました。上記資料はこのイベントの記録集です。 A「障害者の情報アクセス権と著作権問題の解決を求める声明」(2002年10月)  日本図書館協会、全国視覚障害者情報提供施設協会との連名  2002年、日本図書館協会と全国視覚障害者情報提供施設協会との連名で「障害者の情報アクセス権と著作権問題の解決を求める声明」と題するアピールを作成。  同年10月に札幌、大阪等で開催された「アジア太平洋障害者の10年最終年を記念した一連の国際会議にメンバーを出席させ、この声明をもとにプレゼンテーションを行いました。 B『視覚障害者とともに働くQ&A集』(2003年11月発行)  「視覚障害者を公共図書館の職員に」という雇用運動を行っているなごや会ですが、採用に踏み切るまでの自治体の不安を解消し、職場での円滑な人間関係を作ることを目的に作成したのがこの資料です。会員一人一人の経験と情報を集約した、貴重な資料といえます。 C『本のアクセシビリティを考える 〜著作権・出版権・読書権の調和をめざして〜』(2004年4月発行)  発行:読書工房  2004年2月に「出版物のアクセシビリティを考えるセミナー」(東京、なごや会主催、図書館問題研究会共催)を開催。著者、出版社、利用者の三者が一堂に会し、視覚障害者にとってアクセシブルな書籍を出版するにあたっての可能性と課題について話し合ったセミナーを書籍化。活字版とマルチメディアDAISY版。 D「録音雑誌製作貸出提言」、『録音雑誌全国調査報告書』(2006年7月発行)  2001年に「テープ雑誌の製作・貸出に関する提言の取りまとめのためのプロジェクトチーム結成。録音雑誌の製作上の問題や貸出方法における課題について調査・研究を行いました。その結果をまとめたのがこの資料。  同年9月にはこの資料をもとに「視覚障害者等のための録音雑誌を考える集い」開催(埼玉県川口市)。また、10月第32回全国視覚障害者情報提供施設協会・名古屋大会で「録音雑誌製作貸出提言」を発表。 E『田中章治氏の退職を祝う会 記念講演会記録集 DAISY版』(2006年12月発行)  2006年11月なごや会例会(大阪府)で開催された「田中章治氏の退職を祝う会」の模様を収録。公共図書館における視覚障害職員第1号として約40年、なごや会代表として約20年活躍されてきた田中章治氏の記念講演や知人の言葉など。 ■DAISYへの取り組み  なごや会はDAISYにも早い段階から注目し、その普及のために活動してきました。  1997年日本障害者リハビリテーション協会や点字図書館、ボランティアグループ等からなる「DAISY促進委員会」の複数の作業委員会になごや会から委員を派遣。1999年には日本図書館協会が公共図書館におけるDAISYへの取り組みのガイドラインを示すことを目的に設置した「DAISY利用促進ワーキンググループ」に参加。  その後も公共図書館におけるDAISY普及のためのセミナーや学習会を開催。それとともに、デジタル録音機DR-1や小型DAISYプレイヤー・プレクストークポケットPTP1の操作性について、開発メーカーであるシナノケンシと話し合いも行ってきました。  現在、日本図書館協会、全国視覚障害者情報提供施設協会、全国音訳ボランティアネットワーク、DAISY編集者連絡会とともに、「DAISY編集基準」および「録音図書製作基準」作成に着手。団体の枠を超えてこれらの基準の全国統一を目指し、活動しています。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜     会報の発行について                            会報編集長 中山玲子  なごや会の活動の中で、図書館の障害者サービスの発展に向けての研究活動と、会員の交流と親睦は、最も重要な2本柱と言えるでしょう。そして、この2本柱を担っているものの一つが、年に2回発行している会報です。  会報製作の流れを簡単に紹介しましょう。先ず、発行日の訳3ヶ月前に、会報編集委員会を開き、次号の特集テーマ、その他の記事などを決めます。その後すぐに執筆依頼を会員、および毎回3名程度の会員外の方に行います。原稿が集まると、墨字校正、点訳を経て、フロッピー版(テキストファイルと点字データ)、墨字印刷版、メール版、点字版という、それぞれの方が希望する各媒体で発行しています。今のように電子メールが普及していないころには、現行の執筆依頼は電話などで行い、原稿を送るにも郵便を使用していましたので本当に時間と手間がかかったことと思います。しかし、今ではこれらのほとんどが電子メールのやりとりとなり、非常に便利になりました。  会報の特集テーマは、「なごや会20年のあゆみ」に詳しく書きましたのでそちらをご覧いただきたいと思いますが、その時々の図書館の障害者サービスにタイムリーな話題を特集しています。最近では、公共図書館と点字図書館が共に障害者の情報アクセス権を改善するために歩むことが必要であることから、点字図書館に勤務するなごや会会員等の力により、「点字図書館を知ろう」という特集を組んだことは大変好評でした。また今後は、弱視者への図書館サービス、弱視の図書館職員の声ももっと取り上げていきたいという夢も持っています。  会報でもう一つ好評のコーナーがあります。それは、会員のプライベートタイムを紹介した連載です。これまでも「私のアフターファイブ」「私の大失敗」「私の子ども時代」といったユニークな連載を行い、毎回数名の会員に執筆をしていただきました。なごや会会員の中にはなんて個性的な、しかもちょっとオタッキーとも言えるほど趣味を楽しんでいる人が多いんだろう、皆本当に多忙な中で時間の使い方の上手な人たちがなんて多いんだろうと、きっとお読みになった全ての方が感じることでしょう。  その他、単発の記事として、日本図書館協会の活動、全国視覚障害者情報提供施設協会関係の活動、視覚障害者への耳より情報など取り混ぜて発行しています。会員の近況などの非常に小さな記事は「ミニニュース」というコーナーでお知らせしています。  真面目な文章あり、話し言葉そのままに書いた文章あり、短いのあり、長いのあり、いつもの私たちの会報はそんな「なんでもあり」の、様々な色合いの文章によって作られています。ただ、このあたりの自由さが、未だに完全には会員に浸透していないことはやや残念でもあります。  これからも、障害者サービスの現状をしっかりと見つめながらも、会員がほっと一息、コーヒーやビールを飲みながらくつろいで読める会報、そのようなものを目指して、編集に取り組んでいきたいと思っています。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜     なごや会例会の紹介                          例会実行委員長 佐藤聖一  なごや会例会は、会の活動の中でも重要かつ楽しいものです。例会を最も楽しみにしてくれる会員もいます。そしてその内容はとても充実(忙しい?)しています。会の発足当初の例会では、親睦や情報交換などが主な目的でした。現在でもそれは大いにありますが、研修や見学等の要素が入っています。年1回だいたい二泊三日で行われています。  開催地は会員の勤務するところを中心に検討しますが、時にはある目的を持って出かけることもあります。  例会に参加できるのは、会員はもちろんですが最近は会員以外にも声をかけるようになってきました。それと、現地のガイドヘルパーの方にも毎回参加してもらっています。例会のプログラムとして、オープンのシンポジウム・研修会などを行うこともありますので、そのような時はたくさんの方が参加されます。  例会の内容を紹介しましょう。二泊三日といっても全国から会員が集まってくる訳ですから、初日の午前と最終日の午後は何もできません。となると、半日単位で何かやるとして、全部で半日4コマ分の企画ができます。  その内、1コマは総会と決まっています。それに会員の勤務する図書館見学が1コマ(見学が可能であればですが)。またお決まりで1コマ観光になっています。そうなると残りは1コマ。そこに公開シンポジウム、内部の研修会などを入れます。このように正式な(真面目な)内容はぎっちりです。  昼間はそのように内容充実ですが、夜の部もあります。まず初日夜も二日目夜も交流会と称する飲み会があります。時には宿舎を出て現地のお店にいくこともあります。これだけでは飽きたらず、まず夜遅くまでどこかの部屋で飲み会をやっています。(この部屋の宿泊者は大変です)そしてお酒を飲んでもけっこう仕事関係の話をしているというのも特徴でしょうか。私などは眠くなってしまい、宴たけなわで失礼しています。  以上のように内容が充実しているのに、夜も眠れないというのがなごや会例会です。体力勝負というか、ひごろの思いや悩みをとことんぶつける仲間がいるというか、とにかく楽しく厳しい例会です。例会は忙しい会員のために部分参加も可能で、多くの会員の参加があります。毎回とても思い出に残るものとなっています。紙数の関係で個々のエピソードは紹介できませんでしたが、今まで参加できなかった会員の方もぜひ一緒に楽しみませんか。また、会員以外のみなさん、ぜひ会に入っていただき(入らなくてもだいじょうぶですが)、一緒に例会で充実した時間を過ごしませんか。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜     支部会の活動                           東部支部長 大川 和彦  なごや会メンバーは北は東北から九州まで全国に散らばっています。毎年11月頃に例会が開催されていますが、よりフレキシブルに活動出来るよう、関東地方以北を東部、東海地方以西を西部とし、各支部での活動も行っています。  主要会員の多くが日本図書館協会障害者サービス委員であり、スケジュール調整が難しいことなどから、年によっては支部会開催がない場合もありますが、ミニ研修会などを行っています。  ここ数年では、東部支部会では、携帯型デイジープレイヤーについて、どのようなものが、より使いやすいのか、メーカー側担当者と意見交換をしたり、新規に発売されたデジタル録音機操作講習会を開催し、音訳協力者にも参加してもらいました。  近年、デジタル録音が進む中で新たな機器への対応は大きな課題であり、有意義な時間が持てたと思います。また、なごや会メンバーは音訳・点訳資料のユーザでもあるので、機器の使い勝手に関しての意見交換は開発側にとっても、良い情報になったのではないかと思います。  上記ミニ研修会の他、新入会員を迎えての情報交換会なども行いました。ただの食事会のようになりましたが、普段なかなか直に話す機会がないので、このような会も時々あると親睦が深まり良いのではないかと考えています。  支部活動とは別に、他の視覚障害者団体とともに、視覚障害者の情報アクセス改善を関係省庁等に訴える活動も行っていますが、他団体になごや会が課題として取り組んでいるテーマが十分に伝わっていない面も感じます。  今後は場合により支部会もオープンにして、積極的に情報発信をしていき、会の活動の理解者を増やしていくことも必要ではないかと思っています。  会員の皆様、支部会企画案などありましたら、お知らせください。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜役員からのご挨拶〜 メーリングリストの御紹介                       メーリングリスト管理者 伊藤慶昭  なごや会のいいところでもあり、また日常活動を難しくしている点は、会員が全国にちらばっていることです。  これまでは、例会や支部会が近づくと電話で連絡をとり、近況などを話し合っていたのですが、行事がないときはほとんど交流がありませんでした。  7年以上前のことになりますので、当時のことの詳細な記憶はうすれましたが、会員の中でメールを使える人が増えてくることを背景に、メーリングリストを使って日常的な交流がはかれないか、という話が出ました。私がいいだしたのか、どなたかがこんなのあったらいいね、といったのか今となっては分かりません。  とにかく小規模な会のこと、お金がないので無料のメーリングリストサービスを利用することにしました。2009年5月現在44名の会員が登録しています。  投稿されている内容ですが、事務連絡のほか日常的な図書館業務の情報が中心となっています。管理する側としては、障害をもって働く悩み、図書館の指定管理者問題など、内部のMLだからこそ書ける内容を投稿していただいた方が活性化するし、ストレスを抱え込まずに職場生活がおくれるのにな、と思っています。しかし文章にすることは勇気がいるのか、みなさん幸せいっぱいなのか、今一つ深まりに欠けている感じがします。でも、ML上で文章を多く見かける人は、例え年に数回しか顔を合わせなくてもなんだか普段から会っているような気がして、それなりに役割をはたしているのかな、と思います。  今後の発展について。  脱線しますが、5月4日にNHKが、国際宇宙ステーション、静岡沖に停泊した地球深部探査船「ちきゅう」、中米のバハマの3箇所を結んで地球環境についての番組をやっていました。その内容はもちろん、まるで近くから中継しているようなクリアな音声は感動的でした。画像も鮮明だとのことです。  会の結成当初、これほど通信技術が進むとは思いませんでした。外国からの中継といえば、音が途切れたりザーザーとノイズが入ったりしたものでした。私たちもこの技術の恩恵に浴したいと思いませんか?  実はインターネットを使えば庶民でも安いコストでこれが実現するのです。また、ハードルが高いと思われる場合は一般の電話を使って会議を行うことができます。  もちろん顔を合わせてのオフラインなミーティングがベストに決まっています。しかし、忙しい昨今、移動の時間とコストを節約して、コミュニケーションの穴を埋めるこのような仕組みも積極的に使っていったらよいと思います。文章には書きにくくても、視覚障害者お得意の口頭による会話でしたら気軽に話すことができるのではないでしょうか?  さらに、これからの図書館員は、本を扱えるだけでなく情報屋にならなければならないと思います。そのためには、このようなツールを積極的に使い、評価し、よいと思ったものは普及していかなければならないのではないでしょうか。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     なごや会会員としての声                        元東京都立中央図書館 田中章治   なごや会結成に至るまで  私は、1974年4月に都立中央図書館に就職し、2009年3月に退職しました。視覚障害者の公共図書館員の第1号となります。私は、当時から視覚障害者の雇用促進運動に関心がありました。そして、実際に公共図書館という職場に勤務してみて、「これは視覚障害者に向いている職場だなあ」と実感しました。なぜなら、「視覚障害者を採用したい気持ちはあるが、やってもらう仕事がないので」と言う採用する側の声を聴くにつけ、公共図書館についてはこのことは当てはまらず、私たちがやれる仕事は多くあると思ったからです。それ以来、私は公共図書館への視覚障害者の採用の問題をいろいろな場でアピールするようになりました。  1970年代から80年代にかけては、視覚障害者の雇用促進運動が非常に盛んで、またそれなりの成果も上がるという時代状況がありました。私の後に続いたのが、横浜市戸塚図書館(当時)に就職した川上さん、豊中市立岡町図書館に就職した三上さん、名古屋市立鶴舞中央図書館に就職した大塚さんでした。その他、若干前後しますが、埼玉県立川越図書館に勤務された岩崎さん(その後、定年退職)、埼玉県立久喜図書館に就職された伊藤さん(その後、鉄道事故で死去)もいらっしゃいました。その後、1989年のなごや会結成までに、埼玉県立久喜図書館の駒込さん、四街道市立図書館の宮内さん、四日市市立中央図書館の伊藤さんと斎藤さん、町田市立中央図書館の田中さん、枚方市立楠葉図書館の服部さんが相次いで、公共図書館に就職されました。これらの人たちの就職に当たり、私は、図書館関係者からいろいろアドバイスを求められたものです。特に、川上さんと大塚さんの就職の際には、労働組合や市民団体が主催するシンポジウムに招かれ、発言したこともありました。    なごや会結成当時の思い出  なごや会は、公共図書館で働く視覚障害者が10名になったのをきっかけに結成されました。その10名とは、先の川上さん、三上さん、大塚さん、駒込さん、宮内さん、服部さん、四日市の伊藤さんと斎藤さん、町田の田中さん、それに私ではないかと思います。会結成に向けて、最初に積極的な声をあげたのは川上さんでした。私も仕事上のノウハウや悩みなどを気軽に話し合える会の必要性を痛感していたので、すぐ賛成しました。結成大会は関東と関西の人が参加しやすいようにとの配慮から、中間の名古屋での開催を決め、大塚さんにお骨折りいただいたわけです。当日は、名古屋市内の王山会館(現在のルブラ王山)で10名の会員とボランティア数名が集まりました。町田の田中さんは欠席で、代わりに川崎市盲人図書館の伊藤さんが参加されていたように記憶しています。  こうして、1日目の夜は、アットホームな雰囲気での結成大会と懇親会を開催し、翌日は、名古屋市鶴舞中央図書館を見学しました。つまり、なごや会の例会のスタイルは、第1回目からほぼ確立したと言ってよいでしょう。結局、一番古いからということで、私が代表を、事務局長を川上さんが勤めることに決まりました。会の名称についても、名古屋の地で発足したということと、「なごやかに」という会活動の目的を生かし、論議の結果、公共図書館で働く視覚障害職員の会(通称「なごや会」)ということになりました。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     なごや会会員としての声                          千葉県立西部図書館 松元梢 公共図書館、それは文字を覚える前に失明した私に取って、あまり好きな場所ではありませんでした。自分で読める本が揃っている盲学校の図書室には毎日のように通っていましたし、点訳されていない本を家族に読んでもらうのはいつも楽しみでしたが、 ひそひそ本を読んでもらえる場所を求めて放浪したり(地元の図書館には対面朗読室はありませんでした)、静まり返った自習室で点字を書いて響いてしまったり、公共図書館は暑い夏に涼みに行く以外居心地の良い場所ではなかったのです。  そのような訳で図書館に配属された時は戸惑いました。最初に配属されたその図書館も、当時から対面朗読と録音図書の製作は行っていましたが、点字・録音図書等の貸し出しはまだ行われていませんでした。そして、そもそも私は障害者サービスの担当ではない部署に配属されたため、すでに行われていたそれらの業務にもタッチできませんでした。本を読んで図書館のことを勉強できる時間はたくさんありましたがでもそれだけでした。  さすがに憂鬱になっていた頃、声をかけていただきなごや会に入会させていただきました。初めて例会に参加させてもらった時は内容が半分くらいしか分かっていなかったと思います。活発に議論を交わすメンバーが雲の上の人たちに思えました。少しでも近づきたいと思いましたがそれは途方もないことに思えました。  ただ、その後は職場の状況が変わったわけではないけれど、相談できるメンバーがいると思えることで少し気持ちが楽になりました。また、新しいことを始める時に、すでにそのサービスを行っている図書館の状況を伺えるのもありがたいことでした。 例えば、視覚障害のある親と子が、又は一般の人に点字を知ってもらえるようにと、点訳絵本を作り始めることにしたのですが、絵の説明が問題になりました。絵を確認できない視覚障害者がその内容を知るには、透明なシール等で輪郭を再現する、絵の上に「兎」や「狐」等と書いて貼る、客観的で短い説明文を書いて下のほうに貼る、等の方法が考えられますが、絵は(視覚的に)見て何かを感じる物だという一般的な考えを持つ人にはこれらの方法は受け入れられないものでした。そんな時、すでに点訳絵本を作っていた日野市立中央図書館の中山さんにその作品をお借りすることができました。他にも点訳絵本を作っている処はありましたが、同じ公共図書館というのが大きかったと思います。絵の輪郭を再現したり、説明文を考えるのはとても時間がかかるのでたくさんの本を作ることはできませんでしたが、お陰様で触って分かる絵を実現した作品も作ることができました。  2年目からは障害者サービスを行う部署に無事移動でき、3年目からは点字・録音図書用の貸出システムもインストールしてもらって、そこそこの業務ができるようになりました。その間も多くのメンバーにアドバイスをいただいたり、より良い録音図書制作のための方法やDAISY化、新しい録音図書再生機の情報などなごや会の研修に参加させていただきました。図書館の他の業務と違ってスキルアップ研修等も少ないため、とても心強く思っています。  数年前からはメーリングリストもでき、よりリアルタイムに情報交換ができるようになりました。  このような素晴らしい会を作り運営して下さっている先輩方に感謝しつつ、公共図書館がより多くの人に使いやすい場所になるよう、微力ながら尽くせたらと思っています。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     なごや会とともに二十年                       名古屋市鶴舞中央図書館 大塚強  私は、なごや会結成に関わった十名の会員の一人として、「もうそんなにたったのか?」と今改めて時の経過の速さを感じています。  当時、図書館に勤務して5年目。録音図書の製作など新たな事業を手探りで進めていた時期でした。私としては、同じ立場にある視覚障害職員が一堂に会し交流し情報交換できる場が生まれるとのことで、期待をこめて記念すべき第一回例会を迎えました。ちなみに「なごや会」という名称は、和やかな会でありたいということと名古屋で開催されたことから出席者全員の一致で決めました。  1991年に製作を開始した「墨字図書新刊案内」は、なごや会会員の図書館からヒントを得て、現在もなお製作し続けています。いかにして利用者に図書館の新刊情報の提供をするかという課題に対し、他館で実際にやっているものを耳にし、「本の帯を読んではどうだろうか」という答えが生まれました。鶴舞中央図書館では、装備の際、本の帯をはずしています。この帯を情報として読むことにより新刊へのイメージを高めてもらえるのではないかと考えたからです。以来、基本的にはこのスタイルは変えていません。  更に、点字・録音図書の完成情報として、「点字文庫だより」を発行しています。ここでは、西部支部の会員から教えていただいた他館の完成情報に注目しました。自館だけの完成案内では、情報量があまりに少なすぎました。そこで、中部ブロックの情報提供施設の完成情報を載せることにしました。始めは抜粋して紹介しようかとも思いましたが、利用者の多様な要望を考慮し、あえて全てを載せることにしました。現在は、ないーぶネットに報告された全国のものを隔月で紹介しています。  その他、予算要求などの資料作りのときには、会員の館の状況を電話で尋ねたりもしました。  このように、なごや会を通してよい仲間に巡り会えたからこそ今日までやってこられたのだと、会員の皆様には心より感謝しています。公共図書館にとっては厳しい冬の時代ですが、後に続く若い仲間が増え、この会が三十周年、いや四十周年を迎えられることを節に期待します。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     なごや会と私                           千葉県文書館 宮崎佳代子  私がなごや会に入会したのは就職とほぼ同時でしたから、もう12年になります。振り返ってみると、私にとってなごや会はホットラインのような存在でした。  入庁して間もなく与えられた仕事は、新図書館のオープンに伴う障害者サービスの計画と運営のための準備でした。まず、全国の障害者サービス先進館の現状調査から始めました。その際、田中章治さんか川上さんに、この会をご紹介していただいたのが、入会のきっかけだったと思います。  当時は、実務経験もなしに、サービスの実施要項を作成するとか、必要な機材を選定して見積もりを取るとかいう仕事は、まるで自転車に乗ったことがないのに、乗り方のマニュアルを書いて、手入れをする用具を集めろといわれている様で、不安というよりも、何から手をつけたらよいかわからない状態でした。図書館の先輩がくれる参考資料も用語がまったくわからず、調べているだけで1日が終わってしまった日もありました。そんな時、なごや会のメンバーの方々が、資料貸出の方法から利用統計の取り方、消耗品の発注場所まで、懇切丁寧に質問に答えてくださいました。皆さんが、補助輪になって、とりあえず一人で自転車をこいでいる気分にさせてもらったという感じです。今改めて思い出すと、ただでさえ利用者の対応で忙しいのに、質問をされる方は大変だったろうと思います。特に、関東近県の方、ご迷惑をおかけしました。おかげで、コウモリが図書館の中を飛んでいるような田舎で、一般の人もあまり読書の習慣がない地域でも、なんとか障害者サービスを定着させることができました。  もう一つ忘れられないのは、開館後数年経って、音訳ボランティアの募集に選考試験を導入するときのことです。音訳者はボランティアだから試験なんてとんでもない、と譲らない上層部を説得するのに非常に苦労しました。聞きやすく質のよい録音図書というのは、音訳志望者の善意に対して失礼ではないか、という意見が出されたり、音訳を通して図書館を利用してもらうのも一つのPRになってよい、と考える人もいました。そんな中、なごや会でまとめた指針やメンバーが書いた記事が役に立ちました。やはり、障害者資料を利用する立場にいて、サービスを提供する者が結束して公に発言することは、意義のあることだと、改めて実感させられた出来事でした。  こう書いてくると、本当になごや会にはお世話になりっぱなしなのですが、役員になったときには、職場の異動と重なり満足な仕事ができなくて、ご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫びいたします。また、図書館に戻る際には、浦島太郎状態になると思いますので、ご指導くださいますようお願い申し上げます。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     点字図書館員として   川崎市盲人図書館 伊藤慶昭  私となごや会との出会いは、『点字毎日』の情報コーナーに「公共図書館で働く視覚障害者の会をつくる」という記事を見つけたことにはじまる。  当時図書館への就職運動をしており雇用連という団体を通じて田中章治さんにお世話になっていたので「あの人がやっているんなら仲間に入りやすいな」という気がして、参加申し込みの電話を大塚さんにしたのだ。  学生でお金がおしかったのと鉄道旅行が趣味なので、リュックを背負って東京から1人普通列車に乗って名古屋へと向かった。途中雨のため電車が遅れて心配をかけたが、無事メンバーに合流することができた。  鶴舞中央図書館を見学した後(だったと思う)宿に入った。今まで、学生のりのコンパしか出たことがない私にとっては「僭越ながら・・・」と乾杯の音頭をとる姿に「さすが社会人おちついてるなあ。私なんかがいていいんだろうか」という違和感を感じた。  また、みなさん初対面なはずなのに「あのことは・・・。それは・・・」などと事前に打ち合わせがあったかのような話ぶりで、私なんかが仲間に入れてもらえるのかな、という気分でちょこなんと座って食事をしていたような気がする。  そして夜の学習会。熱心に職場の情報交換が行われた。ちなみに印象的だったのは三上さんが1人で台車を押して郵便局に図書を発送に行く話。また「行政は文書で動く」とさんざん言われて就職を阻まれてきた私にとっては、みなさんが文書処理を職場の協力でなんとかしているのをきいて「就職してしまえばなんとかなるもんなんだなあ」 と不思議な感じがした。 2、3日目の行事はまったく覚えていない。そして、またまた鈍行で1人東京に帰っていった。  あれから20年がたった。いろいろな図書館を見学させていただき、先輩の話をきき、なごや会は私を職業人として成長させ、視野を広げてくれた。と同時にスローガンのように「点字図書館と公共図書館の連携」が叫ばれているにもかかわらず、実際の業務でなかなかそれが実現しないという状況の中、例会や会報編集会議に顔を出すことで新しい情報に接することができ役に立っている。  ただし、会の課題の中心は公共図書館なので、私のような関連分野の人間は、ちょっと脇にいようかな、と思っている。しかし、指定管理者の問題とか、障害者のコンピュータへのアクセスの問題など共通する課題については力を入れたいと思う。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員の声〜     もっと利用者としての発信を ―音声図書の質の向上のために―       音訳指導員 恵美三紀子  音声(録音)図書の質の向上が望まれて久しくなりますが、まだまだ全国の音訳者の意識や音声図書の製作法はばらばらです。  その中にあって、デイジー図書はかなり使いやすいものに変わってきたのではないでしょうか。その原因は利用者からの積極的な発言があったからです。  「良い音声図書を製作したい」という気持ちはあっても、実際問題として「質の高い音声図書とはどのようなものか」「利用者はどのようなものを求めているのか」は手探り状態です。これは利用者の声が、なかなか音訳者に伝わってこないことに大きな原因があります。  一般の利用者は音訳者に向かって、直接、意見を言ったり希望を出すことはほとんどありません(よほどおかしな音声化の場合は別として)。いきおい、音訳者は音訳者の立場で考えて製作することになります。これがミスマッチなのですね(雑誌や広報の抜粋などその最たるものです)。  なごや会のメンバーは音声図書の制作者であり、また一方で利用者でもあります。音訳者に一番近い利用者なのです。「読んでもらっている」という気持ちから、音訳者に厳しい要求をなさりにくいのかもしれませんが、そこは割り切って「本音」を伝えてください。それも質の高い音声図書を作る業務の一つではないでしょうか。  週遅れ、月遅れ、その上に抜粋版の雑誌。9部門に片寄った音声図書。必要なときに使えない名ばかりの対面朗読など、利用者が不満に思っていることはまだまだあるはずです。音訳者は所詮当事者ではありません。私も製作に関わっていて隔靴掻痒の感があります。もっと赤裸々な声が聞きたいのです。音訳者を育てるのは利用者です。辛口なご意見も「良薬口に苦し」と音訳者は理解します。なごや会の方々に率先してその役割を引き受けていただきたいのです。有償、無償の別はありません。無償の音訳者もよりよいものを製作したいと頑張っています。  利用者と音訳者が対等の立場に立って話すこと。それが録音図書の質を上げる一番の近道ではないでしょうか。  特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員にはこんな横顔も!〜     バリアフリー出版が実現するまで                         千葉県立中央図書館 松井進 皆さんはバリアフリー出版という言葉を聞いたことはありますか?  バリアフリーで思い浮かべるのは駅のエレベーターや車椅子対応のトイレの設置等、やはり設備の面が多いと思います。  しかし読書にもバリアフリーの思想があってもいいのではないかと私は考えました。  ここで簡単にバリアフリー出版についてご説明させていただきますと、一般文字の本の出版にあわせ、大活字版・点字版・朗読テープ版・CD-ROM版・フロッピーディスク版等、多様な媒体を同時またはできる限り原本出版後速やかに出版する方法です。  この出版形態により、子どもから大人、高齢者、いままで通常の方法による読書が困難とされてきた障害者でも、それぞれに適した方法で気軽に読書を楽しむことができる様になります。  私がバリアフリー出版を目指すようになったきっかけは、幼児期からの自らの読書体験にありました。それは私は先天性の弱視児だったのですが、徐々に全盲へと変化していった変遷があるからです。実際に視力の変化とともに読書方法も変化して行きました。  最初は何とか一般文字を使用していましたが、小学校の途中からは大活字や拡大読書機を併用するようになりました。中学校からは盲学校に転校し、点字や録音図書を使用するようになりました。  そして現在では主にパソコンを使用して読書をしています。  この様な自らの読書体験から、折角本を作るなら最初から誰でも読める形式にしたいと考えました。平凡な公務員である私には出版など縁のないことだと正直思っていたのですが、1頭目の盲導犬「クリナム」が悪性メラノーマという癌の一種でなくなるのを看取ってから1年経過した時、忘却されてしまう記憶を記録に残したいと考えた私は、出版という形態を思いついたのでした。それから7年!!今までに6回のバリアフリー出版を実践してきました。  第1回目は「二人五脚 〜盲導犬クリナムと歩んだ7年の記録〜」(原本:実業之日本社刊)ですが、これは一般文字・大活字・点訳・音訳・マルチメディアDAISY(後日フロッピーディスク版を追加)の5媒体でした。第3回の「盲導犬アンドリューの一日」(絵本、原本:ポトス出版刊)では一般文字・大活字・点訳・音訳・マルチメディアDAISY・フロッピーディスク版(後日ドットブック版を追加)となり、この絵本はバリアフリー出版の試みを評価され、IBBY(国際児童図書評議会)の世界のバリアフリー絵本に選出されています。そして第6回目の「Q&A盲導犬」(原本:明石書店刊)ではとうとう一般文字・オンデマンド大活字・点訳・音訳(カセットテープ、オーディオCD)・マルチメディアDAISY・テキストデータ&PDF・ドットブック(電子書籍)・携帯電話版・ネット配信によるオーディオブック版の10媒体を制作するまでに進化しました。(※詳細URL:http://www.dokusho.org/bfs/)  この様に私がバリアフリー出版を手がけてからさほどの時間は経過していないにも関わらず、読書の方法はより多様化し、出版の形態もより進化し続けています。  そして私が関係各社のご協力をいただきながら何とか続けてきた活動は、バリアフリーからユニバーサルデザイン(UD)の思想へと進化し、最初からだれでもが読める読書方法へと変化してきたのです。  私は普段は平凡な公務員として、朝は7時前に出勤し、夜は9時前後に帰宅する生活を毎日続けていますが、休日は盲導犬の普及活動や出版のユニバーサルデザインの思想を広めるための活動を微力ではありますが続けています。  そして活字による読書の困難なあらゆる人たちにも、読書という人に与えられた自分自身をより豊かにしていくための行為が、自由に身近で楽しく行えるようにするため、図書館につとめる一員として少しでも寄与できればと願っています。  私自身もちろん休日は家族と過ごしたり、ヨットをしたり、旅行に行ったりと適当に肩の力を多少は抜きながら、これからも情報格差を是正するための活動や読書に関わる仕事を続けていければと願っている今日この頃です。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員にはこんな横顔も!〜     OFFの日には夢の中?                         横浜市中央図書館 斉藤恵子  2008年4月15日から1年間、4つのシーズンに渡って25周年をお祝いするイベントが開催されていた場所はどこでしょう?そうです。それはディズニーリゾートの25周年ですね。このテーマパークが他とは異なる点としてあげられる特徴の一つに、来園者の多くがリピーターで占められているということがあるそうで、その多くの人の心を捕らえて離さない魅力のほんの一端をご紹介してみたいと思います。ちなみに私もしっかりとその魅力にはまっている一人であることはいうまでもありません。  まず、なんと言ってもディズニーリゾートには非日常の空間の中で心地よく時を過ごさせてくれる様々な工夫がこらされています。例えば、一歩足を踏み入れればそこにはディズニーの音楽が溢れ、周囲の風景は全く目に入ってこないようになっているのだそうで、その徹底振りはただものではありません。一説によると、当初は静岡県に作られる予定のあったランド計画が撤回された第一の理由は「富士山をどうしても隠すことができないため」だったといいます。  次にここで働く方々の素晴らしいサービス精神にも言及しないわけにはいきません。キャストと呼ばれるスタッフになるためには大変厳しい選考と研修の関門があるそうで、その中でゲスト(来園者)に応対するときのルールや安全管理について徹底した教育がなされています。この辺りのことについて詳しくは、『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』(香取貴信著、こう書房、2002年。録音図書あり)に譲ることにしますが、一点だけ具体的なお話を書かせていただきます。  ご存知の方も多いかもしれませんが、ディズニーリゾートには障害者割引の料金設定はありません。これは、できる限りバリアを取り除く努力をしますので割引は行いませんという理念に基づくものだそうで、世界のディズニー全てに共通するルールのようです。この精神に基づいて行われているサービスには、ゲストアシスタントカードを発行することで、長時間列に並んでいなくても指定の時間に戻ってくればよくなったり、段差や暗い箇所の少ない安全な通路からアトラクションに案内してもらえたりといったものがあります。これらのサービスは確かに理に適った部分があると言えますが、私自身がそれにも増して魅力的と思うのは、さりげなく差し伸べられるサポートの手や気遣いを普段より多く実感できることのような気がします。例えば、ショウの始まる時間になるとテラスに出ることのできるレストランでは出口に近い席に案内してもらえて助かりました。また、園内の植物を紹介してもらえるガイドツアーでは香りを楽しめるようにさりげなく配慮してもらえて、一緒に参加していた友達ともども「さすが!」と感心させられました。こんなところにもしかすると普段の仕事に活かせる大切な精神が潜んでいるかもしれない、とかなり無理やり理由をつけて次はいつ遊びに行こうかと考える今日この頃です。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員にはこんな横顔も!〜     仕事を離れた私の横顔(マラソンについて)      豊島区立中央図書館ひかり文庫 田中浩巳  タン タン タン タン タン・・・。市民マラソンでの一場面。  「10メートル先、9時」と、時計の文字盤に方向を見立て、伴走者から方向の指示をもらう。「3 2 1 ハイ」と、伴走者の合図で一緒に交差点を走りながら左に曲がっていく。「前のランナーが近いからペースを落として」「前にランナーがいないから、ペースを上げても大丈夫」「もうすぐ給水所」等の声で周囲の状況を知り、ペースや給水を判断する。  私の視力では一人で外を走ることはできないので、約50センチのロープを輪に結んだものを伴走者に持ってもらい、方向や危険の有無を教えてもらうことで、公園での練習会や一般の市民レースに参加している。しかし、練習会は週末なので、出勤の都合でなかなか参加できない。平日は職場からの帰りに施設に寄り、ランニングマシンで練習している。長所は室内なので天気に左右されないこと。短所は空調の加減でかなり暑いことや、単調なので、調子が悪いと時間が経つのが長く感じてしまうこと。  レースは競技場での短い距離にも参加することもあるが、ハーフ(約21キロ)を中心に、年に数回参加している。「あんな辛いことの何が楽しいの?」等と言われることもある。改めて考えてみると、終わった後のご褒美(?)のビールが美味しく感じるというのもあるが、 1 白杖を持たずに両手を振って外を歩けたり、走れる。伴走者とリズムが合うと、ロープを持っている感じが薄れ、単に併走しているように思えたりする。 2 身体が軽くなる感じがする。汗と一緒にストレス物質が出ていくらしい。 3 伴走者と話をしながら歩いたり走ったりすると、時間が経つのが早く感じる。公園の花や木、町の様子を教えてもらうことで、季節等を感じられる。 4 ある程度は体重は落ちていく。 5 自分で決めた距離やタイムをクリアしたとき、達成感がある。レースのとき、沿道で町の人たちの応援があるので、かなり頑張れる。 等といったところだろうか。  走り始めたきっかけは8年前に遡る。父が病気療養で外にはあまり出られない状態になり、体力をつけることと気分転換を兼ねて、私が帰宅後に一緒に家の周りを歩くことにした。暫く続けたが、父がそれも辛くなってきたとき、盲人マラソン大会のことを知った。応援に来るのがきっかけで元気にならないかと思い、10キロに出ることにした。体力維持のため、仕事帰りに施設に寄りマシンで筋トレやウォーク等をしていたので、そこで約2ヶ月走る練習をした。大会当日に伴走者と初めて顔を合わせ、ペース等を確認し、スタート。前半は軽い感じで走れ、沿道の「頑張れ」という応援に嬉しくなり、「はい」と応えていた。しかし、外を走るのが初めてのせいか、徐々に脚が重くなり、終盤息もかなり上がっていた。伴走者に幾度も励まされ、最後は倒れこむようにしてゴール。タイムは目標より5分以上遅く、順位も16番目。随分と速い人がいるのだと驚き、良いところが無いような感じがしていた。帰宅して父に記録証を見せると、「頑張ったな」と擦れた声で一言。何故か涙が出そうになり、また頑張ってみようと思えた。その後、先に書いたような楽しみ方を知り、走ることを続けている。父の言葉はもう聞くことはできないが、レースに出る度に報告をするようにしている。 特集2「こんにちは、なごや会です!」 〜会員にはこんな横顔も!〜     全国ラーメン食べ歩き                        埼玉県立久喜図書館 駒込一幸  私は旅が大好きです。最低でも月に一度は泊りがけの旅に出かけています。  旅の目的はラーメン(最近は麺類全般)の食べ歩き、ジャズスポット巡り、地酒・地ビール飲み歩き、温泉巡りです。  一時は海外へも何度か旅した事もありますが、この7・8年は専ら国内旅行を楽しんでいます。なぜそうなってしまったかを私なりに分析してみると、私のラーメン、いや麺類好きと決して無関係ではないと思います。  世界中どの国に行ってもこれだけ豊かな麺文化を持っている国はおそらく他にないでしょう。ラーメン・日本そば・うどん・パスタ・焼きそば・付け麺・素麺・冷麦等々数え上げればきりがありません。そんな中でラーメンは日本を代表する国民食と言ってもおかしくないほど日本人にとって馴染み深い食べ物だと思います。味に好みはありますが「ラーメンは嫌いだ」と言う日本人はあまりいないのではないでしょうか。  ここでは私の大好きなそんなラーメンについて書いてみたいと思います。  一口にラーメンと言っても、醤油味、味噌味、塩味、カレー味、等様々なものがあり、しかも豚骨系、魚貝系、その両方を使ったダブルスープ系、鶏系等出汁の種類も多種多様です。  私は基本的に醤油味か塩味、出汁は魚貝系と鶏系が特に好きです。こってり・あっさりどちらが好みかというとあっさり系で出汁が効いてこくのあるスープが好きです。麺はスープと馴染んでいれば特にこだわりはありません。  次に私が今までに食べ歩いた1000軒近くのラーメン屋の中から思い出深い印象に残ったラーメンをご紹介します。おいしいかどうかは主観的なものなので何とも言えませんが、私にとっては名店ばかりです。 1 醤油ラーメン  (1)北海道札幌市地下鉄新札幌駅近くにある「醤油屋(しょうゆや)」:札幌を訪れた時はよく立ち寄るお店です、鶏がら中心のあっさりだけどこくのあるスープがたまらなくおいしいです。醤油の香りが実に心地良く食べる前から期待が高まるお店です。縮れた麺もスープとよくマッチしていて幸せな気分になれる一杯です。  (2)新潟県佐渡市にある「二見食堂(ふたみしょくどう)」:ここは非常に交通の不便なところにあるラーメン屋です。しかも週休三日、昼間2時間しか開けていないという超難関のラーメン屋です。でも私の今まで訪れたお店の中でこれ以上のラーメンに未だ出会った事がありません。やはり鶏系のスープですが、麺・具・スープ、どれをとっても文句のつけようのない出来栄えでしかも全体のバランスがとても良いのです。このお店だけはぜひもう一度訪れたいと思っています。ただご主人が高齢なのが心配です。  (3)福島県須賀川市の「かまや食堂」:ここのラーメンは山の中にあるにも関わらず、鰹出汁が実によく効いた個性的なラーメンです。鰹節の臭みが苦手な人にはお薦めできませんが、本当にうま味のあるすばらしいラーメンだと思います。 2 塩ラーメン部門  (1)北海道夕張市の「のんきや」:ここは財政債権団体に指定された夕張市にある老舗のラーメン屋で、ちょっと塩気の効いた実に奥深い味の塩ラーメンを食べさせてくれます。ここも高齢のご主人が営んでいるので、今はどうなっているか分かりませんが、ぜひまた訪れてみたいお店です。  (2)東京世田谷区にある「ふくもり」:ここは煮干の出汁が効いたうま味の強い塩ラーメンを食べさせてくれるお店です。塩ラーメンだけでなく、醤油もつけ麺も皆大好きな味です。東京なので比較的行き易いのも大きな魅力です。  今回は私の好きな醤油味と塩味にしぼってご紹介してみました。まだまだご紹介したいお店はたくさんありますが、この辺で失礼します。  これからもおいしい麺類を求めて全国行脚を続けようと思っています。ラーメンバンザーイ! 特集2「こんにちは、なごや会です!」     なごや会20年のあゆみ                          会報編集委員会 中山玲子  (会報バックナンバーの中から、なごや会活動に関するものを抜き出し、20年間の年表を作成してみました)  1989年  9月 公共図書館で働く視覚障害職員が全国で10名になったことをきっかけに「公共図書館で働く視覚障害職員の会(通称「なごや会」結成(名古屋市の王山会館(現在のルブラ王山)で結成大会開催)  1990年  9月 なごや会例会(横浜市)。  1991年  10月ごろ なごや会例会(枚方市)。 1992年  2月 会報創刊号発行。  9月 なごや会例会(いわき市)。  10月 「国立国会図書館の障害者サービスを考える連絡会」が結成され、なごや会も参加団体となる。 1993年  秋ごろ 東部支部会(埼玉県立川越図書館、他)。  10月 なごや会例会(豊中市)。 1994年  6月 東部支部会(宇都宮市立図書館、他)。  9月 なごや会例会(横浜市)。 1995年  2月 なごや会も加盟している「国立国会図書館の障害者サービスを考える連絡会」から、国立国会図書館に障害者の雇用を求める趣旨の請願が出されており、衆参両院で採択されたにも関わらず、国立国会図書館は、視覚障害者の行える仕事がないと否定的な見解を出した。  4月 「国立国会図書館の障害者サービスを考える連絡会」は、国立国会図書館の視覚障害者雇用を求めて抗議文を出したうえで、国立国会図書館と話し合いを行ったが、進展は見られなかった。  6月 東部支部会(四街道市立図書館、他)。  9月 会報第2号発行。  同月 なごや会例会(四日市市)。この中で行われた総会において、「なごや会・申し合わせ」を改廃して、新たに「会則」を制定し、常任委員会を組織することを決定。 1996年  1月 会報第3号発行。  5月 なごや会も加盟している「国立国会図書館の障害者サービスを考える連絡会」では、衆参両院の議員運営委員会の各会派17名に対して国立国会図書館および衆参両院職員として視覚障害者を採用するよう請願行動を行った。  6月 「国会図書館の敷居を低くする集い」(参議院会館第1会議室)において、なごや会会員3名が、公共図書館において視覚障害者の働く意義について報告した。国立国会図書館の総務部長と人事課長に459通の陳情書を提出。  7月 東部支部会(豊島区立中央図書館ひかり文庫、他)。  同月 会報第4号(特集「視覚障害者と健常者が共に働くためには」)発行。  9月 なごや会例会(東京都)。この中で、国立国会図書館との懇談会を実施。  12月 「視覚障害者の雇用促進を求める要請書」を全都道府県の知事・教育長、政令指定都市の市長・教育長および東京23区の区長・教育長に発送。 1997年  1月 会報第5号(特集「障害者と健常者が共に働くためにはパート2」)発行。  2月 西部支部会(福岡市総合図書館、他)。  同月 2月13日(日)からの1週間、なごや会の活動がJBS(日本福祉放送)で報道。  6月 東部支部会(日本点字図書館、他)。  7月 会報第6号(特集「DAISYを考える―その可能性と問題点」)発行。  11月 なごや会例会(大阪市)。この中で行われた総会において「手をつなごうすべての視覚障害者全国集会」への団体加盟を決定。  12月 大阪府に、「大阪府立中央図書館に対して視覚障害者の採用を求める要請書」を提出。  同月 DAISY促進委員会の作業委員会になごや会から2名の委員を派遣。 1998年  1月 会報第7号(特集「個々の図書館別にみる視覚障害者サービスの現状と課題」)発行。  2月 大阪府よりなごや会事務局に対し98年度の司書採用試験の募集要項が郵送され、点字での受験が認められたことを確認。  同月 西部支部会(金沢市立泉野図書館、石川県視覚障害者情報文化センター、他)。  6月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(国立国会図書館)。  同月 なごや会会員が、国立国会図書館に対し点字(またはパソコン)による視覚障害者にも門戸の開かれた採用試験の実施を文書で要求。しかし、受験不可能との国立国会図書館からの回答文が受験表と共に返送されてきた。  このころ 視覚障害職員雇用の要請書を埼玉県・浦和市・川越市・草加市の4つの自治体に提出。  このころ 「デイジー・通信」発行。  7月 国立国会図書館からの、点字による採用試験は現在行わないという回答に対して、国立国会図書館長当て抗議文を提出。  同月 会報第8号(特集「公共図書館および視覚障害者情報提供施設(点字図書館)における障害者サービスのあり方・目指すもの」)発行。  9月 東部支部会(千葉県立西部図書館、他)。  10月 国立国会図書館に関するシンポジウム「今再び問い直す、国立国会図書館の視覚障害者サービス」を全国視覚障害者雇用促進連絡会と共催で行う。  11月 なごや会例会(川崎市)。  同月 社会民主党全国連合に対する著作権法改正のための要請。  12月 「手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動」に参加(文化庁)。  このころ なごや会から委員を派遣していたDAISY促進委員会各作業委員会が発展的に解消。 1999年 1月 会報第9号(特集「なごや会に望むこと」)発行。  同月 公共図書館におけるDAISYへの取り組みのガイドラインを示すことを目的に日本図書館協会DAISY利用促進ワーキンググループが作られ、なごや会からも委員を派遣。  3月 DAISY化促進のために動いている日本障害者リハビリテーション協会、全国視覚障害者情報提供施設協会、日本図書館協会が情報を共有するために組織した「DAISY連絡会」の第1回においてなごや会からの質問を討議。   5月 「国会図書館に視覚障害職員の採用を求める請願」を全国視覚障害者雇用促進連絡会と共に行う。  6月 衆議院の委員会で、浜田健一議員らにより、公共図書館が抱える著作権問題に関する質問がなされた。これは、なごや会が前年行った、社民党への陳情を受けたもの。  同月 なごや会のメンバーが国立国会図書館に対して、点字による採用試験を求めて、今年度採用試験の願書を提出。しかし、前年同様、願書が返送されてしまった。  7月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(国立国会図書館)。  このころ 国立国会図書館への視覚障害者の雇用と受験の機会均等を求める国会請願活動を全国視覚障害者雇用促進連絡会に協力する形で行ったが、請願は保留扱いとなった。  同月 会報第10号(特集「DAISYへの取り組み」)発行。  8月 西部支部会(福井県視覚障害者福祉協会情報提供センター、他)。  9月 東部支部会(千葉県立東部図書館、他)。  11月 なごや会結成10周年記念大会開催(名古屋市)。公開シンポジウム・パネルディスカッション「いま公共図書館に望むこと、視覚障害者サービスを中心に」、他。  12月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(文部省)。 2000年 1月 会報第11号(特集「なごや会結成10周年」)発行。  3月 EYEマーク・音声訳推進協議会と交流。  同月 なごや会からも委員を派遣していた日本図書館協会DAISY利用促進ワーキンググループ、活動終了。  6月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会参加団体の紹介や、運動のアピールが行われた(東京都障害者福祉会館)。  7月 西部支部会(滋賀県立視覚障害者センター、他)。  同月 会報第12号(特集「国立国会図書館を考える」)発行。  9月 東部支部会(日本点字図書館、他)。  10月 なごや会例会(熱海市)。  同月 「EYEマーク・音声訳推進協議会」との協力で、民主党と社民党を訪問。両党が発行する、党機関誌や所属議員の発行する著書にEYEマークを掲載してもらうための要請と、障害者に対する著作権法の壁について理解を求めた。  11月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(文部省、国立国会図書館)。 2001年  1月 会報第13号(特集「録音雑誌の製作・貸出を考える」)発行。  3月 『今後の公共図書館に望むこと − 視覚障害者サービスを中心に(なごや会結成10周年記念パネルディスカッション記録集)』発行。  7月 西部支部会(日本ライトハウス盲人情報文化センター、他)。  同月 会報第14号(特集「総合ナイーブネットを学ぼう」)発行。  11月 なごや会例会(京都府)。シンポジウム「今、問われる音訳資料の“質”とは?」開催。総会において、テープ雑誌の製作・貸出に関する提言の取りまとめのためのプロジェクトの立ち上げを決定。  このころ 京都府に対して視覚障害者の雇用促進を求める要請書を提出。 2002年  1月 会報第15号(特集「録音資料の質の問題を考える」)発行。  3月 東部支部会(東京都障害者福祉会館、他)を開催(パソコンについての研修会)。  7月 会報第16号(特集「録音雑誌の製作・貸出についてよりよい方策を考える」)発行。  10月 西部支部会(日本ライトハウス盲人情報文化センター、他)。  同月 日本図書館協会と全国視覚障害者情報提供施設協会と連名で「障害者の情報アクセス権と著作権問題の解決を求める声明」を発表し、アジア太平洋障害者の10年最終年を記念した一連の国際会議にメンバーを出席させ、プレゼンテーションを行った。具体的には、「第6回障害者インターナショナル世界会議札幌大会(DPI札幌大会)」「アジア太平洋ブラインドサミット会議」「アジア太平洋障害者の10年最終年記念フォーラム大阪フォーラム」「国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)アジア太平洋障害者の10年最終年ハイレベル政府間会合」である。  11月 なごや会例会(千葉市)。  同月 なごや会メーリングリスト正式発足。 2003年  1月 会報第17号(特集「なごや会4つの資料を作成」)発行。  2月 東部支部会(株式会社ラビット、他)。  7月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(厚生労働省)。  同月 会報第18号(特集「今、公共図書館の障害者サービスが危ない」)発行。  10月 西部支部会(日本ライトハウス盲人情報文化センター、他)。  11月 なごや会例会(京都府、大阪府)。この場で行われた総会において、賛助会員制度を創設。  同月 『視覚障害者とともに働くQ&A集』発行。 2004年  1月 東部支部会(東京都港区の中華飯店で交流会)。  同月 会報第19号(特集「DAISYをめぐる最近の動向」)発行。  2月 なごや会主催、図書館問題研究会共催による「出版物のアクセシビリティを考えるセミナー」開催(会場:日本図書館協会)。東部支部会を兼ねる。  3月 公共図書館、点字図書館への全国録音雑誌実態調査を2005年まで行う。  4月 『本のアクセシビリティを考える 〜著作権・出版権・読書権の調和をめざして〜』発行。  5月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(厚生労働省)。  7月 会報第20号(特集「公共図書館における点訳・音訳者等の図書館協力者のありかたを考える」)発行。  同月 『視覚障害者とともに働くQ&A集』の販売を(株)大活字に委託。  9月 西部支部会(日本ライトハウス盲人情報文化センター、他)。  11月 なごや会例会(金沢市)。  12月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(厚生労働省、自民党、民主党)。 2005年  1月 東部支部会(東京都港区立港勤労福祉会館、他)。  同月 会報第21号(特集「障害利用者への図書館からの働きかけ、利用者教育」)発行。  5月 東京都立中央図書館に、視覚障害者の司書職員の配置を求める要請書を、なごや会を含む有志の会が提出。  7月 西部支部会(枚方市立中央図書館、他)。  同月 「都立中央図書館利用者の会」「全国視覚障害者雇用促進連絡会」など4団体とともに、都・教育委員会と懇談。なごや会からは、司書資格をもつ、点字使用者の採用を要望すると共に、視覚障害者を採用する意義について、これまでの実績にも触れながら説明した。  同月 会報第22号(特集「各図書館におけるDAISYへの取り組み状況」)発行。  11月 なごや会例会(浜松市)。公開シンポジウム「公共図書館の障害者サービスと図書館協力者やボランティアとの関係を考える」開催。  12月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(文化庁、文部科学省)。 2006年  1月 会報第23号(特集「なごや会例会ってどんなもの 浜松例会を振り返って」)発行。  同月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(文部科学省、文化庁)。  7月 「録音雑誌製作・貸出提言」、「全国録音雑誌一覧」、『録音雑誌全国調査報告書』発行。  同月 会報第24号(特集「障害者サービスの歴史と展望」)発行。  8月 様々な図書館のDAISY図書の編集方法などを利用者の視点で調査する「DAISY評価実験」を行う(同年11月まで)。  9月 「視覚障害者等のための録音雑誌を考える集い」開催(埼玉県川口市)。  10月 第32回全国視覚障害者情報提供施設協会大会で「録音雑誌製作貸出提言」を発表。  11月 なごや会例会(大阪府)。「田中章治氏の退職を祝う会」開催。  12月 『田中章治氏の退職を祝う会 記念講演会記録集 DAISY版』発行。 2007年   1月 なごや会ホームページ開設。  同月 デジタル録音機DR-1の視覚障害者へのアクセシビリティについてシナノケンシ株式会社と懇談(日本図書館協会)。  2月 会報第25号(特集「録音雑誌に望むこと」)発行。  同月 東部支部会(東京都港区の中華飯店で交流会)。  同月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(総務省)。  同月 シナノケンシ株式会社にDR-1について、商品化を前に視覚障害者の使用に配慮してほしい旨要望書を提出。  3月 日本図書館協会障害者サービス委員会主催「田中章治氏の退職を祝う会」後援(さいたま市)。  6月 東部支部会(東京都港区立港勤労福祉会館、他)「視覚障害者を含めてのDR-1ゆっくり説明会」。  同月 西部支部会(大阪市立労働会館 アピオ大阪)「三上洋さんを囲む会」。  同月 「障害者福祉会館の存続を求める署名」(東京都障害者福祉会館を守る利用者の会)になごや会として団体署名を行う。  7月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(国立国会図書館)。  8月 会報第26号(特集「DAISY録音・再生機の現状と課題」)発行。  同月 東部支部会(東京都港区立港勤労福祉会館)「DX-5Uゆっくり操作説明会」。  同月 『録音雑誌全国実態調査報告書』の販売を株式会社音訳サービス・Jに委託。  10月 なごや会例会(長野県上田市)。「DAISYフォーラム in 上田(DAISYのこれからの普及に向けて、なごや会と、シナノケンシとの情報交換)」開催。 2008年  2月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(文化庁)、  同月 会報第27号(特集「点字図書館を知ろう」)発行。  3月 シナノケンシ株式会社が開発を進めている小型DAISYプレイヤーについて、同社と意見交換(東京都障害者福祉会館)。  4月 小型DAISYプレイヤーについて、シナノケンシ株式会社に意見提出。  5月 日本図書館協会と共に進める「DAISY編集基準」および「録音図書製作基準」作成に向けての作業グループになごや会からも委員を派遣。  8月 会報第28号(特集「点字、点訳サービスについて語り合おう」)発行。  9月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(経済産業省、厚生労働省)。  10月 なごや会例会(いわき市)。  12月 なごや会から委員を派遣している「DAISY編集基準」、「録音図書製作基準」作成委員会に新たに全国視覚障害者情報提供施設協会、全国音訳ボランティアネットワーク、DAISY編集者連絡会も加わり、団体の枠を超えてこれらの基準の全国統一を目指すことになった。 2009年  2月 手をつなごうすべての視覚障害者全国集会要請行動に参加(厚生労働省)。  同月 会報第29号(特集「公共図書館における「ないーぶネット」活用事例」)発行。  9月 会報第30号(記念特集号)発行。     図書館の目指すもの 障害者サービスのこれから                        埼玉県立久喜図書館 佐藤聖一 1.図書館の役割「情報提供」と障害者  図書館の役割は情報提供にあります。情報提供の方法として閲覧・貸出など様々なサービスを展開しています。  図書館は過去から現在までの主に紙媒体の情報を収集し、それを整理し保存し、さらにそれらを個々人の目的に応じて探しだし提供する能力を持っています。この整理し、探し出して提供できるのは専門家である「司書」がいるからです。また主に紙媒体というのは、それなりに社会的評価を受けて信頼できる、またきちんとまとまっている情報であるといえます。本は買うものという考えもありますが、どんなお金持ちでも極小さな図書館に匹敵するだけの資料を収集・整理・保存することはできません。  この情報提供というのは、国民の知る権利を保障するという、いわば民主主義の基本です。図書館は民主社会の基礎的な施設であり、すべての人に平等に開かれていなくてはなりません。  障害者は情報入手に大きなハンデを持っています。そもそも障害者の使える形での情報があまりない。情報検索やコミュニケーションがうまくできない。平均的に収入が低く、パソコンなどの情報入手手段を購入・使うことができない。などの原因が考えられます。  図書館の障害者サービスは、すべての人にすべての図書館資料・情報を提供することにあることは、すでに述べられてきています。ようするに、情報障害者でもある障害者に、等しく情報提供できる可能性を持っているのは、図書館です。しかも地元に数多く存在している図書館ですから、身近な所にある図書館こそが、障害者に情報を提供できるもっとも重要な施設といえましょう。  ただ残念なことに、この大切な障害者サービスを実施している図書館がまだまだ少ないのも事実です。 2.著作権法の改正  今年2009年は図書館にとって、それはつまり障害者にとって、大変特別な年になりました。長年の課題であった著作権法が改正されました。2010年1月1日からは新しい時代が始まります。  (1)改正に向けての運動  図書館の障害者サービスにとって著作権法はその障壁でした。障害者のための録音・拡大・マルチメディアDAISYなどの資料を自由に作ることができなかったのです。またデータを自動公衆送信することもできませんでした。  なごや会を始め多くの団体は法改正のための運動を長年に渡り行ってきましたが、残念ながら30年以上も満足のいく成果をみることはできませんでした。  しかし、2006年12月に国連で「障害者のための権利条約」が採択され、この精神は国内法の改正への後押しとなりました。やっと著作権法が障害者のために大幅に改正されたのです。  (2)改正のポイント  今回の改正のポイントは、 (1)その利用対象者を視覚障害者に限定せず、あらゆる障害者に広めたこと、 (2)公共図書館を初めとする「障害者を特定できるもの」に製作施設を拡大したこと(政令で定めた)、 (3)製作できる資料の範囲をその障害者が使える形であれば何でもよいとしたこと、 (4)貸出だけではなく自動公衆送信や譲渡にも利用方法を拡大したこと(点字図書館などではすでに認められていたこともある)などです。  さらに、聴覚障害者などのための字幕入りビデオの製作貸し出しを認めたことも画期的な改正といえましょう。 3.これからの図書館サービス  図書館はあらゆる人を対象に資料やサービスを提供しなくてはなりません。今まで、やっているとしても視覚障害者くらいしか考えていなかった図書館が、その他の身体障害者・高齢者・発達障害者・入院患者等々、あらゆる人のためのサービス・資料を提供しなくてはならないのです。  障害者の権利条約では「合理的配慮をしないことが差別である」と述べています。合理的配慮とは、普通に考えればできうることとでもいえましょうか。そうなると日本のような高い技術と経済力を持つ国においては、かなりの合理的配慮が可能ということになります。  日本の図書館は残念ながら障害者の満足のいくサービスを実施できていません。またそもそも利用できるサービスや資料のない図書館に障害者も期待していませんでした。  新しいサービスや資料を考えていくことも大切ですが、まずは今あるサービスを資料の利用対象者を拡大することから始めるのも手です。例えば対面朗読の利用者に高齢者・手の不自由な人・発達障害者を追加したり、録音資料の利用対象者に今述べた人などを加えることが考えられます。今あるサービスを活用して、すぐにできることもあるのです。  資料としては、マルチメディアDAISYやテキストDAISYについて前向きに検討していかなくてはなりません。もちろん音声DAISYも大切ですが、多くの障害者が利用できる資料は重要です。また、拡大文字資料・テキストデータ・リライト・布の絵本のように従来からあったのだけれども著作権法などの理由であまり製作できなかったものもあります。これらの製作提供にも拍車がかかってほしいものです。  ただこれらの資料はどこが責任を持って作るべきなのでしょうか。図書館の製作能力はあまりに微力です。図書館だけではなく、国や著作権者・出版社の責任も明確にし、きちんとした製作体制を作る必要があります。そして、できた資料の提供という意味では、大いに図書館の役割が求められています。  資料の提供方法ということでもいろいろと考えていかなくてはなりません。従来の閲覧・貸出だけではなく、郵送・宅配などのサービスはもちろんのこと、データのインターネット配信などはすぐ開始したいサービスです。ただインターネットや新しい支援機器をなかなか使いこなせないのも障害者ですから、個々のニーズに応じたきめ細かなサービスも大切です。そのような意味でも各自治体に一つ以上ある「家の近くにある」公共図書館という施設は重要です。  すべての人が、その人が利用できる形で利用できる図書館。「あなたが今、高齢者や障害者になったとしても、利用になんの障害もない図書館」そういうところになりたいと思います。  もちろん、それは図書館だけの力では無理でしょう。障害者自身に協力を依頼しそのニーズを把握し、類縁機関やボランティアなど、あらゆる社会システムと連携協力して、この実現を目指していきたいものです。     おわりに  公共図書館は視覚障害者にとってたくさんの仕事の可能性を秘めている働きやすい職場だと日々感じています。しかし、その中であっても、やはり健常者の中で視覚障害者が働くということは、様々な悩みもあり、ときには、障害のある利用者と図書館との板ばさみのようになり辛い思いをすることもあります。そんなとき、なごや会のメンバーから偶然にも電話がかかってきたりすると、本当に心が和み、力をもらうことが多いのです。  私たちなごや会は「なごやか」であっても馴れ合う関係にある会ではありません。なごやかなつながりの中で、皆で夢を育て、一人一人がそれぞれの職場でどのようにその夢を達成していけるか、また、皆で手を取り合って全国的な図書館の障害者サービスの未来をどのように切り開いていくか、励ましあいながら大きなヴィジョンに向かって歩んでいきたいと願っています。そして私たちは、全国の図書館で働く一人でも多くの視覚障害のある方々や、公共図書館の障害者サービスに関心のある方々と一緒に活動していきたいと願っています。皆さんご自身、あるいは、皆さんのお知り合いの方でそのような方がおられましたら、ぜひ、この「会報30号」をご活用いただき、なごや会をご紹介いただけたらと思います。  このなごや会20年のあゆみの中で、大きな夢を持ちながらも突然天に召された方々がおられることを私たちは忘れることができません。その方々の夢をも私たちは引き継いでいくことを今はっきりと決意しています。  また、公共図書館という職場を離れて自治体の他の職場に移動された方、図書館員という仕事から新たな別の道へ羽ばたいて行かれた方々などもおられます。そのお一人お一人にもそれぞれの道におけるヴィジョンが与えられますよう、心からお祈りしております。  このたび、この「会報30号」をこうして編集させていただけたことを感謝します。特に、この会報に協力いただきました会員外執筆者の皆様、そしてこの会報を手にとってお読みいただいた皆様、有難うございました。  この「会報30号」は、墨字版、テキストファイル版、点字データ版、点字版という各形式で発行しています。テキストデータと点字データにつきましては、フロッピー版またはメール版でお届けします。皆様のお知り合いでこの「会報30号」の購読をご希望の方がおられましたら、なごや会までお知らせいただければ幸いです。  最後になりますが、従来、この会報の発行は8月10日を予定しておりましたが、一部の作業に滞りがあり、発行時期が遅れましたことをお詫び致します。                            2009年9月  中山玲子  (なごや会では会員および賛助会員を募集しています。公共図書館の障害者サービスに興味関心のある方ならどなたでも参加できます。詳しいことは事務局あるいはお近くの会員までお問合わせください。連絡をお待ちしています。)     奥付 公共図書館で働く視覚障害職員の会 「なごや会」 会報第30号(記念特集号)   特集1「広がれ!障害者用資料への夢」   特集2「こんにちは、なごや会です!」 発行日 2009年(平成21年)9月10日 編集・発行 公共図書館で働く視覚障害職員の会「なごや会」   メールアドレス:nagoyakai@mbn.nifty.com   ホームページ:http://homepage2.nifty.com/at-htri/nag-index.htm 編集責任者 会報編集委員会 中山玲子   墨字校正    太田順子、小林妙子   印刷      あさか向陽園   点訳      松元梢、中山玲子 発行責任者     川上正信